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草創期の職員・渡部さん死去 カープの語り部 悼む声 市民球団の歩み体現

 広島東洋カープの草創期を球団職員として支え、退職後は語り部として活躍した廿日市市の渡部英之さんが22日、亡くなった。88歳。焼け野原から立ち上がったカープの歩みを後世に伝える語りは情熱にあふれ、多くの人々の心に刻まれた。(馬場洋太、中川雅晴)

 大物選手獲得のため市民の寄付金で1千万円を集めたり、球団解散の危機をファンの熱意で乗り越えたり。「あの頃のカープは体の一部みたいじゃった」-。苦労話をユーモアを交えて語り、笑いを誘った。

 マツダスタジアム(広島市南区)の建設に向け、費用の一部をたる募金で集めた2004年ごろから、語り部活動を始めた。スタジアム近くの公民館職員だった為政久雄さん(56)は幾度も渡部さんに講師を依頼。「市民球団の原点を思い起こさせる、希少な語り手だった」と振り返る。

 妻美恵子さん(82)によると、15歳のとき、学徒動員に向かう集合場所の己斐駅(現西広島駅)で被爆。中学を出ていろいろな仕事を経験した後、イベントの司会ぶりを当時の石本秀一監督に認められて球団職員に。切符もぎや場内アナウンス、天気予想などあらゆる仕事をこなした。

 人の長所を見つけるのがうまく、世話好き。選手の結婚式や初優勝の祝勝会の司会も引き受けた。晩年は脳梗塞などを患い口数が減ったが、「貧乏球団」の時代を知るだけに、テレビに映る満員のマツダスタジアムに目を細めていたという。

 ペアで語り部をした広島カープOB会の名誉会長、長谷部稔さん(86)=安芸区=は「正義感が強い人で、今のカープがあるのは皆さんのおかげと、講演ではいつも頭を下げていた」としのぶ。ただ、こんな思いも強い。「いまのカープがあるのは、渡部さんが努力してくれたおかげなんよ」

(2018年4月24日朝刊掲載)

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