連載・特集

被爆者とともに 山口・ゆだ苑50年 <下> 平和へのバトン

体験継承や運営 模索へ

 4月28日、山口市であった連合山口のイベント。ダンスやお笑い芸人のステージ、飲食ブースでにぎわう会場の一角で、山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑は原爆パネル展を開いた。

 被爆の惨状を伝える写真や熱線で溶けた瓦、被爆者が描いた原爆の絵を展示。子どもたちが平和への願いを書き込むメッセージカードを用意し、坂本由香里事務局長が「みんなにとって大切なことを書いてみよう」と呼び掛けた。その間、保護者は展示に見入った。併せて行った核兵器廃絶に向けた署名集めでは234人の協力を得た。

 家族5人で会場を訪れた周南市の主婦小林朋世さん(36)は「こういう機会がないと核兵器の恐ろしさを忘れてしまう。子どもにも平和の大切さを考えさせられて良かった」と話した。

減りゆく証言者

 1995年6月に温泉保養施設を兼ねた持ちビルを解体し、新たなスタートを切ったゆだ苑。被爆体験をどう継承していくのか模索が続く。被爆者の高齢化が進み、小中学校へ出向いて被爆証言できる人が近い将来いなくなるためだ。

 県立大の協力を得て被爆70年の2015年に始めた証言集「平和のバトン」の発行もその一つ。同大学長でゆだ苑の評議員でもある加登田恵子さん(62)=山口市=が学生とともに被爆者を訪ね、被爆体験やその後の人生についてインタビュー。これまでに13人から聞き取った内容は3冊にまとめ、県内の小中学校や図書館のほか、広島、長崎の原爆資料館などに送った。ゆだ苑が被爆者の証言を活字に残すのは、1980~90年に全7巻を発行した証言集「語り」以来となる。

 学生に被爆体験の聞き取りをさせる意義について、加登田さんは「小中学校で平和学習を経験しても進学や就職に追われる高校で空白ができてしまいがち。被爆者の話を実際に聞き、自分の中でしっかり感じ取ってほしい」と狙いを話す。

 一方、被爆体験の継承など平和運動と並び力を入れてきた援護活動も曲がり角を迎える。かつては被爆者健康手帳の取得の手伝いや集団健診を行うことが大きな柱だった。しかし今は医療や介護など一般の高齢者と変わらない困り事相談が大半を占める。行政でなく、ゆだ苑が続ける意義がみえにくくなっている。

活動資金先細り

 活動資金も先細りする。県の補助金や連合からの寄付に加え、大きな財源である温泉保養施設の売却で得た約1億1千万円の基金は1200万円を割り込んだ。人件費を抑えるため、事務所の常駐スタッフを3人から1人に減らした。

 近い将来訪れる被爆者がいなくなった時、ゆだ苑が進む道はどこなのか。18日に立ち上げる検討委員会では平和運動や援護の在り方だけでなく、根源的な課題にも向き合うことになる。

 委員となる岩本晋理事長(75)は「ゆだ苑の設立から半世紀たち、多くの被爆者が亡くなった。支え手であるわれわれも老いた。時代に合わせ何ができるのか、見つめ直したい」と話す。

 老いる被爆者の思いを受け継ぎ、次代へバトンをつなげるのか。ゆだ苑の模索が始まる。(門脇正樹)

(2018年5月12日朝刊掲載)
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