×

連載・特集

イワクニ 地域と米軍基地 平和都市の周りで <4> 機密のベール

弾薬搬出入 見えぬ実態

テロ理由に情報閉ざす

 鉄条網が張られたゲートのそばで、警備員が目を光らせていた。広島市から東へ約22キロ。JR山陽線八本松駅(東広島市)北側の山あいに米軍川上弾薬庫はある。記者が訪ねた時、火薬類を運搬中であることを示す「火」のマークを付けたトラック1台が施設に入っていった。

 約260ヘクタールの広大な敷地内では2000年から、不用弾薬の処理作業もしている。爆発音への苦情が地元から相次ぎ、国が防音壁を設置した。近くの70代主婦は「週1、2回、爆発音を聞くけど、以前ほどうるさくない。兵隊さんの姿も見掛けない。近くに弾薬庫があることは、それほど気にならない」。

 広島県内には、川上と秋月(江田島市)、広(呉市)の三つの米軍弾薬庫がある。過去の資料では貯蔵能力は計約7万5千トン。うち約4万トンが川上だ。旧日本海軍の弾薬庫を米軍が接収して使っている川上の貯蔵能力は極東最大級とされる。

日時だけ通知

 その運用実態は厚いベールに包まれている。弾薬はどこへ運ばれ、どこから持ち込まれたのか。米軍は06年2月、弾薬輸送に関する情報を「テロの標的になる危険がある」として、一部を除き非公開にした。かつては搬出入先やその時間帯、トラック台数なども国を通じて地元自治体に通知していた。今、地元が知り得るのは搬出入の日時だけだ。

 現在の貯蔵量や年間輸送回数はどれほどなのか。在日米陸軍司令部(神奈川県)に尋ねると、「全施設で保安に万全を期している。作戦に関する内容は公表していない」。

 弾薬輸送の情報について、呉市は1968年から事前公表してきた。ベトナム戦争の激化で遊休状態だった広、川上両弾薬庫の使用が再開されたのがきっかけだった。市議会が情報公開を強く求め、米側も応じた。東広島市はこれまで事前公表してこなかった。

 91年の湾岸戦争時、広からも弾薬が送り出された。06年以前の情報をたどると、弾薬の輸送先は広と川上の往復に加え、青森県三沢市、長崎県佐世保市など全国の米軍施設に広がっていた。

 「広島の弾薬庫は米軍の世界戦略とその変化に密接につながっている。今、日米同盟が強化される中で変化が見えにくくなった」。弾薬輸送を監視してきたNPO法人ピースデポ(横浜市)共同代表の湯浅一郎さん(68)は指摘する。

途絶えた交流

 弾薬庫と地域の接点も薄まる。川上弾薬庫近くの住民は、清掃活動などで米側と交流してきた。しかし数年前、米側の配置転換の影響で途絶えたという。川上小学校区住民自治協議会の寺田公徳会長(74)は「地元にできるだけ情報公開し、継続的に理解を求めてほしい」と願う。

 日米地位協定に基づき、米軍に敷地や施設が提供されている弾薬庫。情報を閉ざし、地域から遠ざかる一方、弾薬は今も地域を行き来している。湯浅さんは強調する。「住民の安全安心に関わる米軍施設なのに、自治体も住民も関心が薄れていないか。それが怖い」(久保田剛)

(2018年6月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ