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林幸子さん遺影登録 原爆詩「ヒロシマの空」の作者 広島祈念館

 原爆詩を代表する一つ「ヒロシマの空」の作者、林幸子(さちこ)(本名川村幸子)さんの遺影が6日、広島市中区の原爆死没者追悼平和祈念館に登録された。2011年1月2日、東京都内の病院で死去していた。81歳だった。東京出身の孫が広島勤務を機に自ら登録した。

 1945年8月6日、旧姓梶谷幸子さんは、山中高女(現広島大付属福山高)専攻科の学徒動員先だった己斐上町(西区)の工場で被爆した。父で歯科医の惣一さん=当時(55)=と避難先で出会い、下流川町(中区流川町)の自宅跡を一緒に掘り返した。その光景を5年後に著した。

 「あゝ/お母ちやんの骨だ/あゝ ぎゆつ とにぎりしめると/白い粉が 風に舞う/お母ちやんの骨は 口に入れると/さみしい味がする(略)―死んでしまいたい!/お父ちやんは叫びながら/弟の内臓をだいて泣く」

 母シズ子さん=同(48)=と弟祐一さん=同(13)=ばかりか、父も急性放射線障害で45年9月1日に息を引き取る。121行に及ぶ詩をこう結んだ。

 「涙を流しきつたあとの/焦点のない わたしの からだ/前を流れる河を/みつめる/うつくしく 晴れわたつた/ヒロシマの/蒼(あお)い空」

 「ヒロシマの空」は、幸子さんが親交を持った峠三吉が編集した50年12月発行の「われらの詩」第10号に載り、52年に編んだ詩集「原子雲の下より」にも収められた。近年は吉永小百合さんの朗読で知られている。

 遺影の登録は、孫で時事通信社記者の中山涼子さん(25)が母や伯父らと相談して踏み切った。被爆地での取材活動を通じて、「原爆のことは家族に語ろうとしなかった祖母の思いを感じるようにもなった」と言う。「原爆詩を手にする人が増えたら」と願いを話し、幸子さんが残していた手記も収める考えだ。(西本雅実)

(2018年6月7日朝刊掲載)

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