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ひろしま国 8・6探検隊 なぜ600メートル上空で爆発?

 
Q 広島に投下された原子爆弾は、なぜ600メートル上空で爆発したのですか。

爆風の威力重視し計算

 原爆資料館(げんばくしりょうかん)(広島市中区)の展示にはたしかに、地上六百メートルで爆発したと書かれているね。

 米国側の記録はどうだろう。一九四五年の七月二十四日付の米軍攻撃命令書(こうげきめいれいしょ)の草案は「爆弾は地上およそ二千フィート(約六百メートル)の高度でレーダー近接信管(きんせつしんかん)によって爆発させる」となっている。

 また、原爆製造の指導者だったロバート・オッペンハイマー博士は同年五月に、原爆製造を指揮(しき)したレスリー・グローブス少将(しょうしょう)に送った書簡(しょかん)で、爆発高度について採用される可能性が高い数字は千九百十フィート(約五百八十メートル)だろうと指摘している。

 数字に多少の違いはあるが、米国が爆発させる高度にこだわっていたことがうかがえる。

 では、高度にはどんな意味があったのだろう。「原爆はこうして開発された」を執筆(しっぴつ)した、東京工業大の山崎正勝(やまざき・まさかつ)教授=科学史=に聞いてみた。

■レーダーを搭載

 山崎教授は原爆の爆発高度について「主に爆風の威力を考えて決めたのではないか」と話す。当時は、爆弾の威力を測る時に衝撃波(しょうげきは)(爆風)を基準にしていたというのがその理由だ。

 長年、原子核物理学を研究している葉佐井博巳(はさい・ひろみ)広島大名誉教授によると、地上六百メートル付近で発生した衝撃波は、地表から跳(は)ね返った衝撃波と重なり、地上の建物などに与える威力が最も大きかったそうだ。

 そのせいか、広島に投下された原爆はレーダーを使い、決められた高度で爆発するようにあらかじめ設計されていた。

 原爆開発の歴史をまとめた「ロスアラモス技術史」(デビッド・ホーキンス著)によると、原爆は三重の仕組みで点火するようになっていた。まず、投下から十五秒間は始動しないようにしておく。さらに気圧を測って七千フィート(約二千メートル)の高さまでは作動しないようにした。最後が地上との距離によって点火させるレーダー装置だ。レーダーは四台搭載(とうさい)し、そのうち二台が動けば爆発するようにした。

 ところで、原爆がもたらす威力は爆風と熱線(ねっせん)、初期(しょき)放射線、残留(ざんりゅう)放射線の四つがある。原爆開発中の事前予測で米国は、爆風だけでなく、熱線や放射線による被害が生じることも把握(はあく)していた。けれど、事前予測では爆風以外の被害を軽く見ていたと思われる記録が残っている。

■影響予測できず

 マンハッタン計画の中心的メンバーだった物理学者、ハンス・ベーテ氏(二〇〇五年、九十八歳で死去)たちの一九四四年三月の予測では、放射能を帯びた爆弾の破片などの放射性物質は、爆発直後にできる火球に閉じこめられ、成層圏(せいそうけん)(高度約十―五十キロ)まで上昇するとしていた。放射性物質は最低半径百キロに渡って広がるため、影響は低いと考えていた。

 ベーテ氏は、原爆の被害について、残留放射線などの影響が予想以上だったことを認め、後に、米国の核開発を批判するようになった。山崎教授は「普段なら最も客観性(きゃっかんせい)を重んじるはずの科学者が、事前予測で人体への影響を真剣に考えていなかったのは残念でならない」と話している。(村島健輔)

(2009年3月23日朝刊掲載)

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