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“原爆の子の像”を作ろう 盛り上る生徒の熱意 広島市幟町中 全国の子供たちも応援

 戦後10年、いまなお残る原爆のツメ跡をのろいつつ若き命を散らした佐々木禎子さん(広島市幟町中学1年生)の悲惨な死を契機に“原爆の子の像”を作ろうとする全国の子供たちの熱意が同校に寄せられ、注目されている。

 去る11月10日から3日間広島市の公会堂で全国の中学校長大会が開かれたが、その席上、幟町中学校生徒会代表数名が同校長会大会を訪れ、佐々木さんの涙なくしては語れない“悲壮な死”を訴え「再び原爆を繰り返してもらいたくない」……と切々と懇願し「これを契機に“原爆の子の像”を作り、せめてもの佐々木さんの霊を慰めたい」とお願いした。

 このことは同大会で異常な反響を呼び、さらに同大会会長田中幟町中学校長の「再び原爆の悲劇を繰り返すまい」の司会のあいさつとともに参集の1,200名の全国各県下の校長の胸に強く焼きついた。

 まもなく島根県邑智郡布施中(1,601円)秋田県北秋田郡本館中(1,600円)新潟県魚沼郡湯沢中(2,587円)松山市城東中(2,222円)徳島県美馬郡脇町中(2,232円)石川県江沼郡山代中(1,811円)北海道沙流郡門別中(1,700円)豊田郡大和町豊北中(1,500円)中津高校3年無名氏(500円)などからぞくぞく寄付金がよせられ、その他を合わせ現在二万余円の浄財がいまはなき佐々木さんの霊を慰めるために送られてきている。

 こうした動きに同校では、あくまでこれは生徒会の熱意のたまものとして受けとっており「この生徒会の主旨にそって来年早々広島市小中学610校を一丸とした“原爆の子の像”を設立すべく一大運動を起すことを計画している」と語っている。

 これまでこれに類した動きはすでに県女同窓会の碑や広島一中の原爆碑など建設されたが、この“原爆の子の像”の建設のように全国から盛り上った計画はいままでになく、いかに全国の児童、生徒が平和を願っているかがうかがわれる。

田中幟町中学校長の話
 これは生徒会の自主的な声であり、それだけに胸打たれるものがある。ぜひ校長会としてもこれに協力し、市内の多くの人々の協力をあおいで日本の平和のための一礎石としたいと思っている。

(1955年12月27日朝刊掲載)

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