社説・コラム

寄稿 「慰霊の日」後の沖縄から 阿部小涼

悼み重ね つながりを

反軍事主義の道 広島と共に

 この稿を目にする方々が、沖縄の「慰霊の日」(6月23日)をどのように過ごしたか、と考えるのは奇妙だろうか。

 思えば、悼むべき日は地球上にあまりにも多い。4月3日、韓国・済州島では、島民が虐殺された「四・三」事件から70年の追悼式があった。5月15日は、パレスチナ人がイスラエル建国により難民化した「ナクバ(大厄災)の日」から、同じく70年。ガザ地区では残忍な弾圧に遭ってなお、自由を求める人々の姿があった。

 6月23日の沖縄には、軍事主義を強化する日本政府に対し、鋭く突き返すような言霊(ことだま)があふれていた。中学生の朗読した詩を、印象に刻んだ人もいるであろう。それが「子ども」によって表象され、飼いならしやすいものとして伝えられるのを私は恐れる。弾圧を経験した地で、詩は、公然と詠むことから祈りのつぶやきまで政治そのものであり、沖縄もそうした場所の一つだからだ。私は四・三を、ナクバを思いながら、軍事主義に対する沖縄の闘いは、今なお慰霊と共にあると実感した。

 「悼み」、あるいは「痛み」の想像力を縦横に広げる方法を、私は広島に学んだ。2010年、広島であった性暴力を考えるシンポジウムで知遇を得た研究者の藤目ゆきさんは、米軍川上弾薬庫(東広島市)から呉、岩国までを覆う日米の軍事地理を、「広島湾」の現実として一体的に捉える認識を示してくれた。沖縄でも、先島への自衛隊配備を含めた琉球弧の軍事化をどう捉えきるかが今、問われている。

 15年、被爆70年を考える討議に参加すべく準備する中では、織井青吾さんというノンフィクション作家の仕事を知った。その著作は、大正期に福岡・筑豊の炭鉱事故で亡くなった犠牲者を、時空も記念日も超えて、広島での被爆体験に重ね合わせる批判的想像力の結晶だった。

 間もなくやってくる「8月6日」と共にある、こうした仕事。それにも触発されながら、今、琉球弧と広島湾から、アジアの非軍事化を希求し闘い続けることの意義を思う。そしてその闘いが、悼むべき日を持つ人々の間で、具体的につながる必要を痛感する。

 沖縄での日々は、仕事中も買い物中も、生活の頭上を飛ぶ米軍機から逃げ場がないことを思い知らされる。米軍基地の長期の駐留に「慣れた」と言わせる正常性バイアスとの闘いは、「ああ岩国でも」とうなずく人が多いであろう。

 私たちに何ができるだろうか。「アカウンタビリティー」という言葉は、「説明責任」という日本語訳では誤解されやすいのだが、説明する責任ではない。説明に責任を取らせるという意味だ。説明と違う行為には、引責、賠償を行わせるよう政治を監視する。その役割を住民は果たすことができる。

 沖縄では、基地による環境汚染を住民の手で調べたり、ツイッターのハッシュタグ(検索目印)を使って米軍機の目撃情報を知らせる「#OHアラート」など、専門家に任せない記録と共有の取り組みが始まっている。暮らしの目線で可能な具体的な営みだ。

 恐怖に便乗して忍び込んでくる軍事主義に、柔らかく根強く立ち向かう。悼みと痛み、あるいは「怒り」を分かち合う人々が行動でつながる時、胸もつぶれるような日々にあるのは、諦めではなく希望である。

あべ・こすず
 琉球大人文社会学部教授。1967年生まれ。訳書にジョン・ミッチェル「追跡 日米地位協定と基地公害」(岩波書店)、共著に「沖縄平和論のアジェンダ」(法律文化社)など。

(2018年6月30日朝刊掲載)
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