社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 上峠賢太さん

曽祖父・祖父の思い胸に

 被爆73年の原爆の日、広島市の平和記念式典で「平和の鐘」を突く大役を担う。母方の曽祖父丸田行雄さんと祖父の寿美さんが被爆しているが、「多くを語らずに亡くなってしまった」。2人が何を感じ生きてきたのか、思いを巡らせながら遺族代表の務めを果たす。

 祖母の丸田栄子さん(81)から伝え聞いた2人の被爆体験は多くはない。あの日、行雄さんは背中にやけどを負い、生涯、寝る時はずっとうつぶせで過ごした。寿美さんは横川で電車に乗車中。「1本早い電車に乗っていたら、どうなっていたか分からない」と話していたという。

 2000年1月、行雄さんが89歳で亡くなった後、初めて聞いた。「ひいおじいちゃんはずっと元気なんだと思っていた」。一つ屋根の下で一緒に暮らしていた家族の知られざるエピソードに、ただ驚いた。幼い頃からかわいがってくれた寿美さんも、被爆当時の話になるととたんに口数が減った。「頑固な人で、聞いてもきっと怒られると思い、尋ねられなかった」

 6月、市から打診された。14年7月に84歳で亡くなった寿美さんの顔がふっと浮かび、あらためて栄子さんに2人の被爆体験を聞いた。深い悲しみを実感するとともに湧いたのは「もっと聞いておけば良かった」という後悔の念。遺族代表として次代に平和への思いを伝える責任の重さを自覚した。

 中区で栄子さんと母(58)、妻(31)、長男(2)と暮らし、自動ドアのメンテナンス業を営む。請負先の広島県坂町の会社には、西日本豪雨で被災して出社できない社員もいると聞いた。「広島各地が大変な時。平和の鐘を鳴らす自分の役割にも何か意味があるのではないか。しっかり務めたい」(江川裕介)

(2018年7月12日朝刊掲載)
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