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社説・コラム

天風録 『ビキニの汚れた海』

 近くで操業していた別の漁船から「SOS」の無線連絡があった。「急病人が出たが、ペニシリンがない」。20代半ばの甲板員が海を泳いで、その船まで届けた。太平洋のど真ん中が放射能で汚染されていたとは知らずに▲薬のおかげで急病人は助かった。だが命の恩人とも言える甲板員は帰国後、体調を崩す。入退院を繰り返した末、急性骨髄性白血病で死亡した。60年以上も前、第五福竜丸が米国の水爆実験の「死の灰」を浴びた頃だ▲巻き込まれた船は福竜丸だけでないはず…。そう考えた高知県の高校教師らの長年の努力で甲板員の死も掘り起こされる。海水の放射能汚染のひどさは、日本政府が当時、科学者を乗せて派遣した「俊鶻(しゅんこつ)丸」の測定で確かめられた▲マグロやカツオの汚染も明らかになったのだから、同じ海域にいた船員らの健康状態をきちんと調べる必要があっただろうに。国の動きは鈍かった。放置してきた責任を元船員らが司法に問うたが、きのう退けられる▲当時の政府は米国からわずかな見舞金をもらって政治決着し、その後は水揚げされた魚の検査を打ち切る。そんな姿勢だから、汚染された海や魚からのSOSも届かなかったのだろう。

(2018年7月21日朝刊掲載)

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