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連載・特集

爆心地下に眠る街 <4> 母の記憶

「古里奪う」英語で発信

 「私の母は原爆資料館東館辺りにあった天神町に住んでいました」。広島市の被爆体験伝承者、清野久美子さん(60)=中区=が英語で切り出すと、米国やインドからの観光客は驚きの表情を見せた。資料館東館で外国人向けに開かれている被爆体験の伝承講話。清野さんは、母の鉄村京子さん(88)=同=の話を伝える。

 1945年8月6日朝。鉄村さんは現在の安佐南区に分散疎開していた陸軍糧秣支廠(りょうまつししょう)へ出勤した。翌日から自宅の焼け跡で、鉄村さんの母鹿野つねこさん=当時(41)、弟の滋さん=同(8)、勝さん=同(2)=を捜し回った。

 「母は家族を見つけられず、今日まで葬式をしていません」。講話を聞いた米国人のチャンラー・ホールデンさん(51)は声を震わせた。「観光地で有名な平和記念公園が元は街で、多くの人が亡くなったとは全然知らなかった」

恩師も後押し

 清野さんは2015年度、伝承者になった。「いつかは母に代わって自分が伝えんといけんと思っていた」。折に触れて母がこぼす当時の話を聞いた。「原爆の絵」の募集に応じ、惨状を描く母をそばで見守ったこともある。「私の気持ちをくんでくれた」。最近、ふいに掛けられた母の言葉がうれしかった。

 清野さんの背を押す人がもう一人いる。伝承者の講師の一人で、14年に85歳で亡くなった被爆者の松島圭次郎さん。清野さんが通った中学の英語教諭だった。看護師として勤めていた病院でも、がんの治療に通う姿を見てきた。

 伝承者になるための3年間の研修に加え、英会話教室にも通った。英語で講話を始めたのは、病を押して海外からの訪問客に証言し続けた松島さんの思いを受け継ぎたかったからだ。

被爆前の営み

 壊滅した旧中島地区に建てられた原爆資料館を訪れた外国人は昨年度、約39万人と過去最多になった。原爆を投下した核超大国、米国のオバマ前大統領は一昨年の広島訪問時の演説で、被爆前の日常に触れた。清野さんは、海外に広く被爆前後の旧中島地区を伝える必要性を感じている。

 「母の父は映画館の隣で夏はアイスキャンディーを売っていました」「お寺の境内も遊び場で」…。清野さんは講話で、母や松島さんの話とともに、資料館本館下の発掘調査で見つかった遺構の写真を紹介する。母が子どもの頃に通ったそろばん塾のあった米穀店入り口付近も掘り起こされた。「遺構を見れば、公園が原爆でかき消された街の上にあると一目で分かる」

 講話は、いつもこう締めくくる。「核兵器は人の命を奪うだけではなく、大切な古里を奪うことを覚えていてください。広島と長崎の人が最後の被害者になるよう、皆さんに努力してほしいのです」

(2018年7月28日朝刊掲載)

[爆心地下に眠る街] 旧中島地区被爆遺構 消された暮らし 残っていた痕跡

爆心地下に眠る街 <1> 本館下の米穀店

爆心地下に眠る街 <2> 元住民のつぶやき

爆心地下に眠る街 <3> 父の職場

爆心地下に眠る街 <5> 次世代へ

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