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連載・特集

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <3>

 被爆2世の有田健一医師(69)=広島市中区=が続けている被爆者への「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)。被爆体験を含めて今までの人生を振り返り、これから望む医療やケアについて語り合い、老いの人生設計をともに考えている。

渡辺秀之さん(74)=広島市中区

広島市己斐町(現西区)で被爆

自分に負けとうない。最期まで趣味に生きたい

 譜面をじっと見つめ、ゆっくり、ゆっくり、ピアノの鍵盤に指を置く。「エリーゼのために」の演奏は少したどたどしい。「左手が難しいんよ」。広島市中区の原爆養護ホーム「舟入むつみ園」で暮らす渡辺秀之さん(74)が笑ってそう言うと、隣のピアノ教師の顔もほころんだ。

 「エリーゼのために」の少しもの悲しい流れるようなメロディーが好きという。娘が使っていた自宅のピアノで以前から、右手だけで奏でていた。両手で弾けるようにと退職後、安佐南区の音楽教室に通い始めた。「自分に負けるのは嫌いじゃから。可能性に限界はないという主義なんよ」

 負けじ魂の源は、右膝にある。今もズボンをまくり上げるといく筋もの手術痕がある。成長の遅れた右脚は左脚より9センチ短く、つえは欠かせない。

 2歳になる前、自宅近くの己斐町(現西区)で被爆した。飛んできたガラス片が右膝に突きさって脱臼した。小学生の頃は、脚を引きずる姿を同級生たちにまねされ、からかわれた。「今に見とれ」。歯を食いしばった。

 奨学金で大学を出た。地元の金融機関で仕事に打ち込み、周りより早く係長に昇進した。34歳で安佐南区の住宅団地に待望の家を建てた。「でも、ハンディがあるからなんかなあ。支店長にはなれんかった」と口にする。

 妻の洋子さん(71)は推し量る。「足のことで、できないように見られるのが嫌なんでしょう」。いまだに家族にも、弱みや苦労を見せたがらない。

 渡辺さんは2年前、洋子さんを自宅に残し、舟入むつみ園に入所することを決めた。友人たちからも「家があるのになんで施設に入るんだ」と責められた。

 「わしは先を読んで今、世話になるのがチャンスと思ったんよ」。家は坂の上の団地にある。室内も段差があって、車いすでの移動が難しい。足の悪い自分はそのうち歩けなくなるかもしれない―。その時の洋子さんの負担を考え、娘たちを説得した。

 洋子さんはからっと笑って「いつでも帰ってくればええ」と支持した。渡辺さんは「女房はわしのことを一から十まで知っとるんよ」と信頼をにじませる。

 心配事がある時に足が向くのが、有田健一医師のいる医務室だ。右脚をかばい続けてきた左脚が痛み始め、歩幅はずいぶんと狭くなった。

 「『加齢じゃ』で済まさず、質問に真正面から答えてくれるけえ、話をしたら気が休まるんよ」。趣味や旅に出掛けていきたい渡辺さんの意を酌んで、左脚のリハビリを勧めてくれた。

 10月に75歳を迎える。父と2人の兄が亡くなった年齢だ。いま、肝臓がんを患っている。今年3月、命は3~5年と聞いた時には、心にさざ波が立った。「でも、周囲に落ち込んだ顔を見せたくないでしょ」。どんな時にも襟を正すのが自分の性分と言う。

 だから、これから受ける医療にしても、受け身の選択には後ろ向きだ。食べられなくなったとしても、胃にチューブで栄養を送り込む胃ろうは希望はしないという。「自分の舌で味わえんようになったら天命よ」

 有田医師に人生の満足度を聞かれたことがある。「85点」と答えた。足の障害やいじめのことは採点に入れていない。自分で決めたことが実現できないことこそが減点だ、と思うからだ。

 最期の日を意識する今も、可能性に限界はないと思っている。11月には国内を旅しようと、30年来の仕事仲間と計画を立てている。それが楽しみでならない。(衣川圭)

有田医師からのひと言

対話 人生照らす灯台に

 足に障害が残り、人生の節目、節目で被爆の影響を感じてきた渡辺さん。時々、私のいる医務室をのぞいて、会話を楽しんでいます。人生の最終段階の胃ろうや人工呼吸について話し合った時には、「こんな話をすることはいいことよ」とうなずきました。対話を繰り返すことは、将来の医療の方針を決めるためだけじゃない。これからの人生を歩む際の灯台になるような気がします。

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(2018年7月28日朝刊掲載)

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <プロローグ>

自分らしく生きる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <1>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <2>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <4>

自分らしく老いる アドバンス・ケア・プランニング(ACP) 被爆者と医師の対話から <5>

自分らしく老いる 被爆者と医師の対話から <エピローグ>

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