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社説・コラム

社説 日米原子力協定延長 核拡散の懸念 自覚せよ

 日米原子力協定が1988年の発効から30年の期限を迎え、自動的に延長された。原子力協定は日本の核燃料サイクルの前提条件であり、それが「保証」されたことを歓迎する向きもあるようだが、もはや核燃サイクルは破綻を来している。

 その破綻に伴い、被爆国日本は核兵器の原料であるプルトニウムをため込むという重大な矛盾を抱えている。原子力協定の節目に当たり、日米両国で国会などを通じた議論が低調に終わったことは残念である。

 原発の使用済み燃料を再処理して抽出したプルトニウムを再び発電に使うことを、原子力協定は日本に認めてきた。核燃サイクルのベースである。

 だが原子力政策を巡る情勢は激変した。福島第1原発の事故は「安全神話」を根底から覆す。プルトニウムを大量に使うはずの高速増殖原型炉もんじゅは、ほとんど稼働しないまま廃炉が決まった。原発でプルトニウムとウランの混合酸化物(MOX)燃料を使うプルサーマル利用もさほど進んでいない。

 つまり日本の原子力政策は完全に行き詰まっている。

 日本は国の内外で47トンのプルトニウムを保有する。長崎原爆に換算して、6千発分に相当する量だ。使う当てのないプルトニウムをこれほど、ため込んでしまったことは国際的に何を意味するのか。与野党ともに、もっと自覚すべきである。

 かねて米側にも、日本に対して再処理の中止を求める考え方は根強いという。プルトニウムに関してはセキュリティー上の懸念、さらにいえば「核テロ」の恐怖が常に付きまとう。

 冷戦が終結して超大国による核使用の恐怖は遠のいたが、それに代わる核テロへの備えを国際社会は求められている。テロリストに渡らないよう各国が努力している中で、プルトニウムを保有し続けるリスクをあまりに軽視してはいないか。

 日本が再処理から撤退しないことは、韓国など独自の再処理を志向する国々を刺激することにもつながる。ひいては核を巡る北東アジアの緊張をいたずらに高め、北朝鮮の非核化を追求する国際社会の動きに水を差す結果になりかねない。被爆国が核拡散のリスクを高めることなど、あってはなるまい。

 日本にそのつもりがなくても使う当てのないプルトニウムを大量に抱えていれば、核武装の意図を疑われても仕方がない。

 国の原子力委員会はきのう、青森県六ケ所村の再処理工場(2021年度完成予定)で製造するプルトニウムを通常の原発で使用する量に限定することを柱とした、新指針を決めた。岡芳明委員長は記者会見で「絶対に超えてはいけないわけではないが、今の47トンが一つの目安だ」との見解を示した。

 認識が甘過ぎるのではないか。六ケ所村の再処理工場が計画通り稼働を始めれば、新たに年間最大8トンのプルトニウムが生産される。保有量の削減のためには、再処理自体をやめるしか選択肢はないはずだ。

 再処理から撤退した場合、六ケ所村にある使用済み燃料は全て廃棄物となるため、青森県との約束に従って県外へ搬出しなければならない。行き詰まった国策である原子力政策については、国が責任を持って決着をつけるしかあるまい。

(2018年8月1日朝刊掲載)

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