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原爆直下 島病院内部の写真 開業記念の絵はがきに印刷 資料館にデータを提供へ

 1945年8月6日、約600メートル真上で原爆がさく裂した広島市細工町(現中区大手町)の「外科 島病院(現島内科医院)」。その内部や外観を戦前に撮影した写真が残っていた。開業記念の絵はがきで、当時の院長の遺品にあった。原爆で壊滅した同病院の被爆前を伝える写真はほとんどなかった。(桑島美帆)

 この絵はがきは院長だった島薫さん(77年に79歳で死去)が33年8月、細工町に開業した記念として制作したとみられる。2種類あり、ともに横9センチ×縦14・5センチ。計5点の写真を刷り込んでいる。

 円形の窓や円柱が特徴的な洋風の外観、さまざまな医療器具を備えた診察室と手術室、豪華な特別室…。入院患者が外部に郵送することを想定したのか、裏面には「廣島市細工町」「外科 島病院」「第 號室」などの文字がある。

 薫さんの長男で名誉院長の一秀さん(83)の妻直子さん(75)が数年前、病院に併設する自宅で遺品を整理していて見つけた。

 病院は約50室の病室を備えた、れんが造りの2階建てだった。被爆前の広島市市中心部には外科の診療機関が少なく、連日、多くの患者が訪れていたという。写真を見た原爆資料館学芸課の菊楽忍さん(60)は「ドイツへの留学経験もある島先生は、最先端の医療設備をそろえ、当時は珍しい洋室も備えていた。そのことがはっきりと分かる貴重な写真」と説明する。

 原爆投下で病院は玄関部分を残して倒壊し、看護師や入院患者など約75人が爆死した。院長は前日から広島県甲山町(現世羅町)へ出張手術に出かけていて無事。8月6日夕刻広島市内に戻り、救護活動に奔走した。その回想録には「煉瓦の中には多くの死亡せる白骨が出た」と被爆後の病院の様子を記している。

 現在、病院を長男の秀行さん(47)に引き継いだ一秀さんは「戦前の病院の中を撮った写真はほかに残っていない。代々大切にしていく」と語る。画像データは原爆資料館に提供することも検討している。

(2018年8月6日朝刊掲載)

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