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11日ひろしま盆ダンス 「原点」の熱気 鮮明に

 広島市中区の旧市民球場跡地で11日に開かれる「ひろしま盆ダンス」(中国新聞社主催)。その原点にあるのは、被爆から1年後の夏、廃虚の広島の街であった「戦災供養盆踊り大会」だ。原爆死没者を悼み、復興の願いを込めて人々は踊った。72年ぶりの復活を前に、当時を知る人は懐かしく鮮やかに、その熱気を思い返す。

 「忘れられん思い出です」。安芸高田市の和田孝一さん(84)は、しみじみと語る。姉と2人の兄が高田郡刈田村(現安芸高田市八千代町)の佐々井盆踊りクラブの一員として、中国新聞社が広島護国神社跡(現在の旧市民球場跡地)で開いた同大会に出場した。

 当時刈田小6年だった和田さんも、約30人の踊り手と、大太鼓を載せたトラックに乗り込み広島へ向かった。会場の隅から拍手や声援を送った。夢中で舞う踊り手たち、道中のにぎわいに、胸が高鳴ったという。「優勝してね、みんなで大喜びしました」

 同クラブは各地の盆踊り大会で入賞し、踊り上手で名が知れていた。だが、戦時中は活動が途絶えていた。クラブの入賞旗を保管する地元の明顕寺の天清一亮住職(71)は「終戦直後でまだまだ楽しみも少ない中、大会は地域に元気を与えただろう」と話す。

 ただもう一つ、幼かった和田さんが胸に刻んだ光景があった。被爆翌年の広島の惨状に、衝撃を受けた。「会場あたりは一面のがれきで何もなかった。この街は立ち上がれるんだろうかと思った」と振り返る。

 同寺には、「佐々井盆踊倶楽部(くらぶ)」と書かれた縦440センチ横70センチの旗も残る。72年前、廃虚の広島で行われた盆踊り大会で掲げられたものだ。「原点の盆踊り」を見届けた。「復活の盆踊りは、西日本豪雨で傷ついた広島の慰めになるんじゃないか」。和田さんはそう思っている。(新本恭子)

(2018年8月8日朝刊掲載)

8月11日の「ひろしま盆ダンス」参加呼びかけ 旧広島市民球場跡地

 被爆1年後の夏、廃虚の広島市基町で行われた盆踊り大会が、「ひろしま盆ダンス」として72年ぶりに復活し、8月11日午後2時から10時まで、中区基町の旧広島市民球場跡地で開かれる。中国新聞社が主催する。

 広島から多くの人が移民したハワイや南北アメリカ大陸で、日系文化ともなった盆踊り。外国人観光客を含め、参加者が世代や国境を越えて集い、平和の喜び、原爆の廃墟からの歩みや広島と世界のつながりを体感する国際交流イベントとなる。

 第1部は午後2時から5時半までで、青少年センターによるステージがある。

 第2部「ひろしま盆ダンス」は午後6時半から10時まで。メインは参加者全員による「総踊り」で、太鼓、津軽三味線、笛、尺八の生演奏と生唄に合わせ、七つの川や比治山、宮島といった広島の風景を方言とともに歌う「広島音頭」と、福岡の「炭坑節」を踊る。

 会場にはブラジル日本移民110周年記念事業交流広場(広島日伯協会)などの国際交流、和文化体験、浴衣コーナーなどの「インバウンドおもてなし」、1000個のキャンドルで照らす折り鶴モニュメントも用意される。

 ひろしま盆ダンスの公式サイト  https://hiroshima-bon-dance.jp/

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