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社説・コラム

連載寄稿「ヒロシマ方程式を問い直す」 田中聰司 脱核時代への転機

被爆者の怒りを世論に

 被爆73年の夏が来た。核兵器禁止条約の発効と朝鮮半島の非核化を目指す取り組みが始まったのに、いまひとつ高揚感がわかないのはなぜだろうか。傲慢(ごうまん)な核大国の壁が立ちはだかる。被爆者と政府の乖離(かいり)が進んだ。新たに生まれた非核化の芽を伸ばし、核時代脱却へつなぐには、どうすればいいのか。これまでの取り組み(ヒロシマの思想と行動)を検証し、「脱核の方程式」を練り直したい。

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 豪雨被災地のがれきが、あのときの廃虚と重なって見えるのは被爆者だからだろう。この夏の平和記念公園はとりわけ熱く、通りかかるたびに胸がふさがる。

 核兵器廃絶を願い続けてきたのに、核保有国は2桁近くにまで増え、隣国にまで及んだ。核兵器全面禁止の国際法がやっとできたというのに、肝心の当事国を引き入れられない。被爆国までもが背を向ける。

 うめき、慟哭(どうこく)、憤りが原爆供養塔から聞こえてくるようだ。「安らかに眠って下さい」と刻まれた原爆慰霊碑の前に立っていられない後ろめたさを感じるのは私だけだろうか。

 「朝鮮半島の非核化」の米朝交渉が続くが、具体化の道はまだ見えない。トランプ米大統領は「期限は設けない」とも言い始めた。米国ファースト、商人、気まぐれな大統領と独裁者の駆け引きだから、いつ、どんな手打ちをするか、先が読めない危うさもある。

 北朝鮮が米国、中国、ロシアに核廃棄を条件に求めないのは、保有国への仲間入りと自らの延命が主眼の表れか。非核化をあいまいにしたまま、米朝の国交や通商、各国の制裁解除、南北統一などが、なし崩しに進むような事態に、万が一にもさせてはならない。

 被爆国は、作家の大江健三郎氏が指摘した「あいまいな日本」の様相を強める。平和憲法と日米安保条約を使い分け、針路があやふやだ。多い無関心層、低調な国会審議が背景にある。核禁止条約に参加しない奇妙さが海外で不思議がられ、邦人が肩身の狭い思いをしている乖離。米国の新核戦略を「歓迎」する一方、北朝鮮のミサイルに備えた列島各地での避難訓練は戦前の時勢と重なる。危機意識が防衛力増強へと向かう流れに用心せねばならない。

 朝鮮半島の非核化を必ず進め、北東アジアへ広げる出発点としたい。米中ロ3カ国にもこの地域にかかわる核除去を決断させれば、非核地帯化は可能となろう。北朝鮮、韓国、日本を加えた6カ国の禁止条約加盟の期待へつながる。政府はその先導役として「橋渡し」の具体策を急ぐべきだ。同盟と核の傘、防衛力の在り方なども既成概念にとらわれず検証する好機にしたい。

 被爆者は時に「憎しみを乗り越えて」と言う。が、核兵器アレルギーを失わず、憎しみ、怒りをたぎらせたい。世論を政治に反映し、核保有国を目覚めさせる多角的な方法を問い直そう。核時代をいかに生きるか―。8・6を前に、私たちの立ち位置を考えたい。(ヒロシマ学研究会世話人)

たなか・さとし
 1944年下関市生まれ。広島市で被爆。早稲田大卒。中国新聞社で報道部記者、論説委員などを務めた。現在、広島大客員講師、広島市原爆被害者の会事務局長。

(2018年8月8日セレクト掲載)

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