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社説・コラム

社説 長崎原爆の日 非核化へ 手を携えよう

 人間が生み出した核兵器は人間の力でなくせる。そんな気概が伝わってきた。長崎市の田上富久市長の平和宣言である。

 核兵器禁止条約の早期発効や核に依存しない安全保障を国際社会に求める一方、私たち一人一人には市民社会の力で「平和の文化」を広げていこうと呼び掛けた。

 国連のグテレス事務総長が初めて長崎の平和祈念式典に出席したことを意識したのだろう。田上市長は、1946年に創設された国連の総会決議第1号が核兵器など大量破壊兵器の廃絶だったことや、同年できた日本国憲法も平和主義を柱にしたことに言及。惨禍を二度と繰り返さないための「強い決意」だと表現した。そして昨年採択された核兵器禁止条約は、その延長線上にあると位置付けた。

 核保有国や「核の傘」に頼る国に対し、「決意を忘れないで」という訴えは、説得力をもって響いたのではないか。

 訴える先は為政者だけではない。「世界の皆さん」と呼び掛け、禁止条約が一日も早く発効するよう自国の政府と国会に条約批准への働き掛けを求めた。人々への希望や信頼が根底に感じられた。

 「平和は連帯、思いやり、尊敬などの心で構築できます」。外交や安全保障などの大きな枠組みだけでなく、人々の「心」にも触れたグテレス事務総長のあいさつは、平和宣言への応答とも言えるかもしれない。

 背景には、停滞する核軍縮がある。北朝鮮の問題では初の米朝首脳会談など進展はあるが、先行きは不透明だ。核保有国の努力も十分ではない。「核廃絶は国連の最優先課題」とするグテレス氏が式典に出たのも「長崎を最後の被爆地に」との強い思いがあったからに違いない。

 一方で「唯一の戦争被爆国」を掲げる日本政府はどうか。安倍晋三首相のあいさつは、長崎で今秋に「賢人会議」を開くと表明したものの、禁止条約には言及せず、表面的な内容にとどまった。悲劇が再び繰り返されないよう「粘り強く努力を重ねる」とも述べたが、一体何をどうするのだろうか。実態が伴わないまま、言葉だけ取り繕っても空虚なだけではないか。

 被爆から73年が過ぎた。被爆者を代表して「平和への誓い」を述べた日本被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんも86歳だ。禁止条約について「目の黒いうちに見届けたいと願った核兵器廃絶への道筋が見えた」と喜びながら、署名も批准もしようとしない被爆国政府への落胆をあらわにした。当然だろう。

 生き地獄を体験した人は次々と世を去っている。長崎では昨夏以降、被爆者運動の中心的存在だった谷口稜曄(すみてる)さんと土山秀夫さんが相次いで亡くなった。「2人は戦争や被爆の体験のない人たちが道を間違えてしまうことを強く心配していた」。田上市長が平和宣言でそう述べ、残された私たちにできることを具体的に示した。

 被爆地を訪れ、核兵器の怖さと歴史を知る。自分のまちの戦争体験を聞く―。それならばと背中を押されたように思った人も多いのではないか。

 核兵器に頼る論理に立ち向かうには、私たち一人一人の行動が不可欠だ。核も戦争もない世界を目指して、広島も手を携えなければならない。

(2018年8月10日朝刊掲載)

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