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反戦 語る「シベリア」 島根の98歳 講演20回達成

マイナス40度で重労働/凍傷と栄養失調

 戦地で旧ソ連に捕らえられ、シベリアに3年間抑留された島根県吉賀町沢田の野村定男さん(98)が、2012年に講演活動を始めてから目標としていた20回に今夏、達した。帰国から70年。15日の終戦の日を前に、次の目標を100歳までに30回と定め、「過酷な体験を命が尽きるまで語るのが自分の使命」と意気込む。

 「何人もの凍った死体がトラックに積まれていた。母親が見たら正気を失う」。3日、同町七日市の町林業センターであった20回目の講演会。小学生を含む約70人を前に「戦争は絶対にやってはいけない」と繰り返した。

 1941年、開拓団の一員として旧満州(中国東北部)に渡った。45年5月、旧日本軍に召集され、ソ連国境の部隊に配属。終戦直前、山中で陣地を築いていた時にソ連軍の侵攻を受けた。「地図も金も食料もなかった」。白旗を掲げ、捕虜となった。部隊の半数は命を落とした。

 シベリアでは過酷な重労働が待っていた。冬には気温マイナス40度で地面が凍る環境。1日の食事が飯ごうのふた半分の小豆のかゆだけで、水も飲めずに木の伐採を20日間続けさせられたことも。激しい凍傷と栄養失調で多くの仲間が倒れたが「こんな所で死ねるか」と踏ん張り、48年7月に帰国を果たした。

 12年、同町の柿木中から頼まれたのをきっかけに講演活動を始めた。「戦争の悲惨さを次の世代に伝えてほしい」との思いで、中国地方の中学や高校を中心に年数回、引き受ける。

 20回目の講演会の最後、野村さんは、次代への期待をこう口にした。「今は民主主義で言論の自由がある。勉強して戦争反対と言い切れる大人になって」(根石大輔)

シベリア抑留
 第2次大戦末期に参戦したソ連軍に、旧満州(中国東北部)などで捕らえられた日本の将兵や民間人が、シベリアやモンゴルで森林伐採などに従事させられた。厚生労働省の推計によると、旧ソ連で56万1千人が抑留。多くは1950年代半ばまでに帰国したが、重労働や飢え、極寒のため、旧ソ連で約5万3千人が死亡した。

(2018年8月15日朝刊掲載)

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