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社説・コラム

寄稿 8・6特番に込めた思い 新里カオリ ヒロシマの思い共有へ

RCCラジオ「うららか日曜日」 ギャラクシー賞優秀賞

番組 平和考える場に

 優れた放送に贈られる年間賞、第55回ギャラクシー賞(放送批評懇談会主催)のラジオ部門優秀賞に、昨年8月6日に放送された中国放送(RCC)の「新里カオリのうららか日曜日~被爆72年『戦後』はいつまで続くのか~」が選ばれた。レギュラー放送を拡大した特別編で、パーソナリティーの新里カオリさんが、現在の平和記念公園(広島市中区)内に位置した旧中島本町の被爆前の面影を、現地を歩きながらたどった。番組に込めた思いなどを新里さんに寄稿してもらった。

 「8月6日は何の日か知っていますか?」。広島へ越してきて数年たった頃、東京都内の若者に街頭インタビューをするテレビ番組を見た。「え~、夏休み?」「海の日?」。笑いながらそんな回答をする若者を見て、悲しいというより、なんだか恥ずかしくなった。

 かくいう私も、さすがに何の日か知ってはいたものの、8月6日の朝に黙とうをしたことが、実は広島へ来る前までなかったからだ。広島では8月に入ったら、いやその前にセミが鳴きだしたのを聞いたら、当たり前のようにこの日を思い浮かべ、さまざまな思いを抱く方が多いと感じている。夏だけではない。生きている間に何度も何度も思いをはせる。

 私が生まれ育った埼玉県では、どれだけ原爆投下について語り合う人がいるだろう。学校でも、教科書で原爆にまつわる話が出てくる日以外、聞くことがない。こんなにも狭い、同じ国で起こったことなのに。そんな環境でのうのうと子供時代を過ごしてきたことを、縁あって広島へ越して来てから、罪の意識とともに自覚するようになった。

 そんな私が昨年の8月6日のラジオ番組で、特番を受け持つことになった。正直、私が原爆についてわずかでも語ることなんて、あまりにもおこがましいし、広島の皆さんに対して無礼だとさえ思いながらの挑戦だった。

 当日は、アメリカ人で詩人のアーサー・ビナードさん、アニメ映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督をゲストに迎え、戦争体験者である濵井徳三さんや、被爆体験をされた方々への事前のインタビューも交えつつ、生放送で行った。

 中島地区に自宅があった濵井さんが最後にご両親を見たのは、原爆投下の前日。ご自身が預けられていた親戚の家へ訪ねてきた。お母さんのさした日傘が鮮やかな青色だったのが印象に残っているという。あの日、無理やりでも泊まってもらっていたら、とずっと思っている。

 「中島地区は真上から原爆を受けたから、飛ばされたんじゃなく、ぺちゃっと上から押しつぶされたんよ。だから家具もみんな残っとった。机の引き出しにはおやじがきちょうめんに残した雑記帳もちらと見えたが、そん時は持って帰らんかった。持って帰る気がどうしても起きんかった。持って帰っておけばのう…」。声を詰まらせる徳三さんの姿に、泣きそうになった。

 場違いな私が、なぜこの特番を受ける覚悟を持ったかというと、「知りたかった」し、「知ってほしかったから」だ。原爆が広島に何をもたらしたか。同じ国に生まれ育ちながら、原爆のことを語り合うこともなく育った私たちのことを見つめ直し、「その先」を見つけたいと思った。放送時間としては2時間ちょっとだったが、1年たった今も、心の中で響き続けている。

 この番組(日曜午前9時~10時55分にレギュラー放送中)を、多くの人たちとこれからも継続して平和について考える場に育てていければと願っている。

にいさと・かおり
 1975年埼玉県生まれ。武蔵野美術大大学院修了。学生時代に旅行で訪れた尾道市で帆布の魅力に触れ、同市に移住後の2009年、立花テキスタイル研究所を創設した。

(2018年8月16日朝刊掲載)

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