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連載・特集

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <17> ICAN

「非人道性」掲げ急拡大

  ≪10年ほど前、現在に直接つながる巡り合いがあった≫

 反核医師たちを中心にオーストラリアで設立された「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN(アイキャン))が、2007年5月にはカナダでも立ち上がりました。国会議事堂で設立総会があり、講演者として招かれたのです。実は「反核集会の一つかな」というぐらいの印象。その後の展開は想像もしていませんでした。

 その翌年には、日本から離れて暮らす被爆者として、とても新鮮な体験もありました。東京の団体「ピースボート」が被爆者を招待した世界一周の航海で、102人もの被爆者と過ごしたのです。被爆時はまだ幼くて記憶がなく、「私に体験を語る資格はない」と気後れしている人も多くいました。でも、4カ月の船旅を終える頃には表情は明るく、被爆者としての責任感がにじんでいました。うれしかった。

 地域社会や家庭を破壊し、記憶のない人や家族にも影響を与えるなど、あらゆる人間の営みに及ぶのが原爆被害。むしろ、「あの日」の悲惨さだけを語るだけなら不十分です。記憶がなくても世界に伝えるべき体験と思想は、あるはずです。

 当時からピースボートの共同代表だったのが川崎哲(あきら)さん。後にICANにも加わり、素晴らしいリーダーシップを発揮してくれます。

 ≪10年に国連であった核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が、新たな潮流となる≫

 核保有国は条約に書かれた核軍縮義務をちっとも果たそうとせず、市民社会も非保有国も、とうに怒りを通り越していた。そんな時、会議で「核兵器の非人道性」を強調した文書が採択されたのです。

 ならば、新たな条約で非人道兵器の禁止を―。ICANが急拡大を始めます。若者が各国の外交官と堂々と渡り合い、ロビー活動。会員制交流サイト(SNS)を通して、世界中で情報や戦略を瞬時に共有します。軍縮運動に人生を懸けてきたベテランも、豊富な経験を生かし、大いに貢献していました。私は、核兵器に頼る愚かさを懸命に訴えました。非人道性というアプローチと、被爆者たちの実体験。両輪が力強く回っていきました。

(2018年8月28日朝刊掲載)

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <18> 反核の同志

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