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連載・特集

『生きて』 被爆者 サーロー節子さん(1932年~) <20> ノーベル平和賞

核兵器 終わりの始まり

 昨年12月10日、ノルウェー・オスロ。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式に、母の形見の着物を仕立てたドレスで臨みました。夫ジムにも生きて見守ってほしかった。

  ≪4歳だったおいの悲惨な被爆死を語り、米国の原爆使用を戦争犯罪として言及。核保有国だけでなく、「核の傘」の下にいる国も「共犯者」と指弾した。ベアトリス・フィン事務局長に次いで発信した渾身(こんしん)の受賞演説は、世界で反響を呼んだ≫

 母校、旧友や親類からの温かい言葉に感激するばかり。古里広島と新たなつながりを得た思いです。軍縮・平和教育に長年取り組んだ一人として、特別な「出会い」もありました。三次高から後日、100人もの生徒が日本語と英語の両方で書いた感想文が届いたのです。「次世代に届いている」と勇気を得ました。

 一方で、私には不完全燃焼でもあったんです。「米国の核」を求める被爆国日本。核同盟である北大西洋条約機構(NATO)の一員、カナダ。条約の交渉会議に「共犯者」の姿はなかった。二つの母国を名指しし、条約参加を迫りたかった。とはいえ、世界中の国々に働き掛ける受賞演説でもあります。与えられた場と時間で、私なりに精いっぱい伝えたつもりです。

 ≪早くも前を向いて歩いている≫

 講演原稿をしたためるたび、原爆犠牲者を思い、涙が止まらなくなる。73年前の体験を思い出すのはつらい。でも「私がやらなければ誰がやる」と自らを奮い立たせてきました。

 受賞の栄誉は、それ自体が目的でも、人生の記念品でもない。10年前にカナダ政府から勲章を頂いた時もそうでしたが、目標達成のため最大限に生かすべきもの。核兵器廃絶運動は、市民が自国の政策転換を迫る政治的な運動です。私と仲間は、あらゆる手でトルドー首相への強力なアプローチを試みています。

 まだ「核兵器の終わりの始まり」。仕事は山のようにある。感慨にふけってなどいられません。=おわり

(2018年9月1日朝刊掲載)

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