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社説・コラム

『想』 高橋優子 ハルモニの頼みごと

 これまで何度か韓国慶尚南道陜川(ハプチョン)にある被爆者施設を訪れ、被爆者のハラボジ(おじいさん)、ハルモニ(おばあさん)の話を伺いました。

 朝鮮戦争や被爆による健康障害のため、「帰国後の生活も大変だった」と話していたハラボジ。「日本のどこかにある兄の墓を代わりに参ってほしい」と言ってきたハルモニ。帰り際にたくさんの果物とお小遣いまでくれたハルモニ―。

 植民地支配、被爆、戦後の病苦や貧困など何重もの苦難を生き抜き、一説では広島・長崎で7万人ともいわれる韓国・朝鮮人被爆者について研究したいと思い、2年前に大学院に進学し、今は在日コリアン被爆者の団体について研究しています。

 これまで広島・長崎には、在日コリアン被爆者の団体が三つ発足しています。1963年に在日本大韓民国民団広島県地方本部内に設置された韓国原爆被害者対策特別委員会は、長年委員長を務めた方がつなぎ役となって日本人や在日コリアンによる在韓被爆者医療支援につながり、在日だけでなく在韓被爆者支援にも力を注いできました。

 75年に結成された広島県朝鮮人被爆者協議会は、朝鮮人被爆者の存在を日本国内外に知らせる活動に力を入れると同時に、北朝鮮の海外公民としてグローバルな反核運動や在朝被爆者支援を行ってきました。

 79年には、もう一つの被爆地に長崎唯一の在日コリアン被爆者団体である長崎県朝鮮人被爆者協議会が発足。さまざまなバックグラウンドの会員が集まり、日本人の活動家たちと長崎の韓国・朝鮮人被爆者の実態調査や証言活動をしてきました。

 両都市の在日コリアン被爆者たちはそれぞれの方法で、日本社会と在日社会、そして朝鮮半島の橋渡し役として被爆者支援や実態解明、反核運動に力を注いできたといえるでしょう。

 当事者でない者が研究するには難しさもあるテーマですが、敬意と謙虚な姿勢を忘れず取り組んでいこうと思います。そうすることが、あのハルモニに頼まれたお墓参りの代わりになると信じて。(九州大大学院生)

(2018年9月7日セレクト掲載)

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