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3・11被災地と交流重ねる 元原爆資料館長 原田浩さん 被爆地の経験語る

石巻の遺構保存 後押し

 2011年の東日本大震災で4千人近い死者・不明者が出た宮城県石巻市。被爆者で元原爆資料館長の原田浩さん(79)=広島市安佐南区=は被災地の人たちと、さまざまな交流を重ねる。3・11の教訓を伝え残す営みに、ヒロシマの経験を生かす橋渡し役を果たしている。11日で震災から7年半。(岩崎誠、増田咲子)

 8月には石巻市の非核平和推進人材育成事業で広島を訪れた中学生11人への講話を依頼された。原田さんは被爆直後に瀕死(ひんし)の人たちを踏みながら避難した記憶を振り返り、「決して思い出したいものではない。だが伝えることが継承につながる」と強調した。

 3・11の被災地では津波や原発事故の記憶をとどめる遺構の保存を巡る議論が続く。原田さんは解体論もあった原爆ドームを広島市が残し、世界遺産登録に至った経緯を中学生たちに説明した。震災を経験した雄勝中3年の永沼さくらさん(15)は「被爆したものを残すことで、みんなが思い出し、周りの人に伝わると感じた」と感想を話した。

 平和行政に携わった広島市を退職後、証言活動を続ける原田さんが被災地を初めて訪れたのは13年。大学教員らでつくる震災の伝承研究会のシンポジウムに招かれた。その後、官民を問わず被爆地と被災地を結ぶキーマンとなって繰り返し石巻市に足を運んでいる。

 石巻では二つの震災遺構が焦点となっていた。津波で児童74人が犠牲になった旧大川小と、津波と続く火災で壊滅的被害を受けた旧門脇小の校舎。遺構を訪れた原田さんは残すよう市に要望したという。保存か解体か、住民の意見も分かれる中で市は遺構を保存し、活用する方針を示した。

 被災地が保存を考える上で参考にするのが広島の被爆建造物の現状だ。原田さんは市の震災遺構検討会議メンバーが16年に広島を訪れた際に案内。ことし4月に旧門脇小の保存に向けた基本設計を請け負う共同事業体などの一行が平和記念公園や旧日銀広島支店などを視察した時も同行し、遺構を残す意味を語った。

 震災復興に携わり、4月の視察にも加わって原田さんの話を聞いた東北大大学院の小野田泰明教授(都市・建築学)は「広島の皆さんが積み重ねられてきたことが、われわれの判断を勇気づけた」と考える。

 震災当時のまま残る旧門脇小校舎は中央部を残してあの日の様子を再現する展示スペースを設ける保存計画案が公表された。広島と石巻に多くの共通点があるとみる原田さんは「建物だけでなく遺品や資料、被災者のストーリーも含め残してほしい」と訴える。3・11を考えることで、広島大旧理学部1号館活用などで課題を残すヒロシマのありようも問われるという。

 遺構保存だけではない。この3月に原田さんを講演に招いた震災語り部らの組織「3・11メモリアルネットワーク」からは広島の豪雨災害の復旧ボランティアに駆け付けた。「絆を強めて、これからも力になりたい」と心に決めている。

(2018年9月11日朝刊掲載)

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