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社説・コラム

『記者縦横』 非核化 被爆地にも役割

■ヒロシマ平和メディアセンター 桑島美帆

 ちょうど20年前の1998年3月、共に日韓関係を学んだ大学のゼミ仲間と、卒業旅行で韓国を訪れた。現地の大学生と交流し、宮廷料理を食べ、板門店(パンムンジョム)の見学ツアーにも参加した。

 当時の日韓関係はいわば「蜜月期」。7カ月後の10月には、小渕恵三首相と金大中(キム・デジュン)大統領が未来志向の関係発展を確認した「日韓共同宣言」を発表。サッカーの2002年ワールドカップ共催も決まっていた。だが、板門店では北朝鮮の兵士が無表情で立ち、「分断」を目の当たりにした。

 残念ながら、その後の日韓間は摩擦が絶えず、北朝鮮の核の脅威はさらに増した。6月の米朝首脳会談で「北朝鮮の非核化」が合意されたが、先行きは見通せないままだ。この20年間、強固な日韓関係を築いていれば、日本政府はもっと朝鮮半島の平和構築に寄与できたのでは、とも思う。

 二転三転する米朝交渉を眺めながら、足元の被爆地の役割を意識するようになった。広島市立大の孫賢鎮(ソン・ヒョンジン)准教授たちが脱北者から得た情報によると、北朝鮮の核実験場周辺で、被爆者と同じ症状に苦しむ人が続出しているという。しかも、正しい情報が伝わっていないため「奇病」として扱われているようだ。

 広島と長崎で被爆し、北朝鮮で暮らす高齢者のことも忘れてはならない。広島には、被爆者支援の蓄積がある。今こそ、被爆地の自治体や市民が隣国と連携を深め、外交とは違う目線で朝鮮半島の核問題と向き合うべきではないだろうか。

(2018年9月14日朝刊掲載)

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