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連載・特集

[平成という時代 中国地方の30年] テロと国際情勢 重なる「二つの爆心地」

 東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊し、社会主義の超大国・ソ連が消滅した平成初期。米ソがにらみ合う東西冷戦の構造が過去のものになった一方、民族紛争や宗教対立が各地で噴き出した。2001年9月11日の米中枢同時テロでは、中国地方の関係者も被害に遭った。相次ぐ自衛隊の海外派遣や島根県隠岐の島町の竹島(韓国名・独島(トクト))を巡る領土問題など、複雑化する国際関係の影響は中国地方にも及んでいる。(石川昌義)

兄は被爆 息子はビル崩壊の犠牲 広島の伊東さん

 1冊のアルバム。がっしりした体格の青年に母親が寄り添う写真の隣に、青空を背にした米国・ニューヨークの世界貿易センタービルを写した1枚が並ぶ。広島市安芸区の伊東次男さん(83)は、米中枢同時テロで長男和重さん=当時(35)=を失った。

 和重さんが勤めていた富士銀行(現みずほ銀行)ニューヨーク支店は、同ビル南棟の82階にあった。テロリストが乗っ取った旅客機が最初に突っ込んだのは北棟。間もなくもう一機の旅客機が南棟に激突した。銀行からの「既に避難した」との情報に安心したのもつかの間、翌朝には行方不明の一報が届いた。伊東さんは「予想もしない事態に足が震えた」と振り返る。

 すぐ渡米し、病院を回って息子を捜したが、見つからない。煙を上げるがれきの山を見た。「これでは助かるまい。熱くて、痛くて苦しかっただろう」。02年1月に死亡宣告を受けた。遺体は見つからず、骨つぼには、がれきを入れた。

 同年の「9・11」。ニューヨークでの追悼式典に夫婦で参列した。当時の写真に、高層ビルの壁面を覆う巨大な星条旗が見える。

 「テロとの戦い」を掲げる米国は01年10月にアフガニスタンを攻撃。03年にイラク戦争を始める。ツインタワーを直撃したテロは米国人の「愛国心」を刺激し、ブッシュ大統領の支持率は9割に迫った。「同盟国」の日本も米国に呼応。自衛隊の海外の戦地派遣に踏み切った。

 イラク戦争が長期化していた05年、伊東さんは子どもたちに平和の大切さを語る活動を始めた。旧制広島一中(現国泰寺高)の1年生だった兄を原爆で失い、自身も被爆者である伊東さん。演題を「二つのグラウンド・ゼロ(爆心地)」と決めた。

 対テロ戦争の泥沼にはまった米国に、少年期の日本を重ねる。「幼心に『日本は正しい。必ず勝つ』と信じていた。戦争をすると命が軽くなり、悲しむ遺族が大勢生まれるのに…」

 米政権は「核兵器のない世界」を掲げるオバマ政権に交代。戦争の「大義」だったイラクによる大量破壊兵器保有が虚構だったことも明らかになった。オバマ大統領が広島を訪問した16年5月、平和記念公園(中区)の原爆慰霊碑への献花儀式への参列要請が在日米大使館から届いた。

 「大統領の後ろ姿に、原爆投下への反省と平和への誓いを感じた。この花輪は被爆者だけでなく、全ての争いの犠牲者にささげられている」。伊東さんの手には、12歳で被爆死した兄と、異国で逝った息子の遺影があった。

ナショナリズム 一瞬で染まる恐ろしさ

 米中枢同時テロ後の2002年春、「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」共同代表の森滝春子さん(79)=広島市佐伯区=はニューヨークを訪れた。テロ被害者の米国人遺族と一緒に反戦・反核を訴えたデモ行進には、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」と罵声が飛んだ。「一瞬でナショナリズム一色に染まる恐ろしさを感じた」

 イラク戦争の開戦が迫っていた同年12月、イラクに渡った。1991年の湾岸戦争で米英軍が使った劣化ウラン弾の健康被害に苦しむ市民に接した。03年3月、広島市中区の中央公園で「NO WAR(戦争) NO DU(劣化ウラン弾)!」のメッセージを人文字で描く集会を呼び掛けると約6千人が参加。写真を米紙に意見広告として掲載した。しかし、同月中に米英軍は開戦に踏み切った。

 イラク戦争を主導したブッシュ政権は09年、「チェンジ」を訴えるオバマ政権に交代した。森滝さんは、オバマ氏にノーベル平和賞をもたらした同年の「プラハ演説」を冷ややかに聞いた。「核兵器のない世界を掲げる一方、核抑止力を前提に核兵器の自主的放棄には踏み込まない」。その危惧は、16年5月の現職大統領として初の広島訪問でも的中する。

 「原爆投下への直接的な謝罪は難しくても、米国による人類初の核兵器使用を『大きな間違い、汚点だった』と反省の言葉を発することはできる。彼はそれを避け、廃絶に向けた具体的な道筋も語らなかった」

 大統領専用機で米軍岩国基地に降り立ったオバマ氏は、海兵隊員に日米安全保障体制の意義を強調。平和記念公園では、集団的自衛権の行使を認める安保関連法を前年に成立させた安倍晋三首相と肩を並べた。

 「オバマ氏の広島訪問を広島でも圧倒的多数が支持した。『日米同盟』や『核の傘』を当然視し、原爆で多くの命が奪われた被爆地の原点に立ち戻る想像力が失われている」。その焦燥は、テロ直後の米国で感じた孤立感にも似ている。

               ◇

平成元年(1989) ベルリンの壁崩壊▽米ソ首脳会議で冷戦終結

  2年(90) イラクがクウェートに侵攻

  3年(91) 湾岸戦争勃発▽自衛隊初の海外派遣。海上自衛隊呉基地から掃海          部隊がペルシャ湾に出発▽ソ連崩壊

  4年(92) 国連平和維持活動(PKO)協力法成立▽PKOで自衛隊をカン          ボジアに派遣

  5年(93) 国連カンボジア暫定統治機構の文民警察官で岡山県警の高田晴行          警部補が銃撃され死亡

  9年(97) 米軍岩国基地の滑走路沖合移設工事着工

 11年(99) 日米防衛協力のための新指針関連法成立。日本周辺の武力紛争な          どが発生した場合に、自衛隊の後方地域での米軍支援が可能に

 13年(2001) 米中枢同時テロ。広島市出身の銀行員伊藤和重さんら日本人            24人を含む約3千人が死亡。中国銀行や山陰合同銀行の出            先機関も被災▽米軍アフガニスタンを攻撃▽テロ対策特別措            置法成立▽米軍支援で海自呉基地の補給艦がインド洋に出            航。テロ特措法に基づく初の戦時の海外派遣

 15年(03) イラク戦争始まる

 16年(04) イラク復興支援特措法に基づく陸上自衛隊のイラク派遣始まる          ▽有事関連法成立

 17年(05) 島根県議会が「竹島の日」条例案を可決

 18年(06) 空母艦載機の岩国移転など在日米軍再編の最終報告で日米両政府          が合意

 20年(08) 広島市で日本初のG8議長サミット

 22年(10) 米軍岩国基地の新滑走路運用開始▽沖縄県・尖閣諸島沖の日本領          海内で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突

 23年(11) 米軍がイラクから撤退完了

 24年(12) 国が尖閣諸島を地権者から購入、国有化

 27年(15) 集団的自衛権行使を認める安全保障関連法

 28年(16) オバマ米大統領が現職大統領として初の広島市訪問。原爆慰霊碑          に献花▽長門市で中国地方初の日ロ首脳会談

 30年(18) 米軍厚木基地から岩国基地への空母艦載機の移転計画完了

  (2018年9月30日朝刊掲載)

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