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社説・コラム

『潮流』 ミニ原爆資料館の重み

■ヒロシマ平和メディアセンター長 岩崎誠

 原爆資料館のミニチュア版ともいえようか。千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)の一角に「核兵器の恐怖」というコーナーがある。幅4メートル余りの壁沿いのスペースを占め、原爆被害や被爆地の歩みを伝える。先頃、上京の折に足を延ばし、意外と充実した内容に驚いた。

 ケースの中に、広島・長崎の原爆投下時刻で止まった時計がある。被爆後の街の映像が流され、壁面のパネル展示も盛りだくさんだ。米国の原爆投下命令書に、中国新聞の松重美人カメラマンが撮影した被爆当日の写真。戦後のビキニ事件と核兵器禁止運動の広がり。被爆者健康手帳や外国人被爆者を巡る問題…。

 タッチパネルの装置では被爆者が描いた原爆の絵や峠三吉の詩、広島でのローマ法王ヨハネ・パウロ2世の「平和アピール」(1981年)などに接することもできる。

 この展示の何よりの重みは国立の歴史博物館にあることだ。太古から現代までの列島の歩みを追う施設。日清・日露戦争以降の戦場の実態などを語る「戦争と平和」の展示が、2010年に追加される。締めくくりに被爆の惨禍と核兵器廃絶の誓いが置かれた。その意味は大きい。

 気鋭の研究者が集う歴博は、半世紀前の「明治100年」で政府が打ち出した記念事業だった。成り立ちからみても、明治維新以降の歩みにどう向き合い、語り継ぐかという歴史認識が問われる場所でもあろう。現に原爆展示の直前にある沖縄戦の展示では「集団自決」への日本軍の関与を巡り、沖縄の市民グループなどとの間で激しい議論があった。

 「明治150年」の今月は、政府や自治体の記念式典が続く。維新の英雄や近代化の成果を誇るだけでなく、繰り返された戦争の結末と苦難も忘れてほしくない。高校の歴史教科書を久々に手に取り、激動の150年の来し方を振り返ってみる。

(2018年10月4日朝刊掲載)

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