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仏の悲劇の村 廃虚をたどる 第2次世界大戦中 独軍が村人を虐殺 広島の有志ら学習旅行

 第2次世界大戦中にドイツ軍によって、ほぼ全員が虐殺され焼き払われた村の廃虚がそのまま残るフランス南西部のオラドゥール。原野昇広島大名誉教授(仏文学)たち13人が9月、学習旅行に訪れた。ヒロシマほどは知られていないものの廃虚の圧倒的な迫力を実感し、遺跡保存の意味などを考えた。(客員編集委員・冨沢佐一)

 「忘れないで」と英仏両語で書かれた門。中に入ると、道路の両側には天井が抜け落ち石積みの壁だけとなった家々の跡が連なる。壁の内側にはさびついたミシンやオーブン。自転車数台の残骸が壁に掛かった廃虚は、自転車店だったのを物語る。教会跡には溶けて形を失った鐘。広場にはタイヤのない赤さびの車が放置されていた。

 事件はドイツ占領下の1944年6月10日に起きた。ドイツ軍150人が突然現れ村人全員を広場に集めたうえ、男性を納屋に、女性と子どもを教会に閉じ込めた。そして、機関銃などで一斉に殺害し、家々に放火。村は焼き尽くされた。犠牲者は642人。教会の窓から飛び降りて逃げた女性など6人が、辛くも生き延びた。

 当時は連合軍がノルマンディーに上陸し、反撃に転じた直後。虐殺はレジスタンスへの報復だったともいわれる。翌年、ドゴール将軍が廃虚のまま保存することを決定。その後、次第に知られるようになった。現在は日本の中高校生に当たる生徒たちが授業の一環でフランス全土から来るなど年間30万~40万人が訪れ、次第に増えているという。

 「いろいろな店や学校があり、平和だった村に突然起きた悲劇が廃虚によってよく実感できました」(大久保玲子さん)「戦争になると人間はどんなことでもするのですね」(浜本雅之さん)「日本軍も占領地で同様のことをしたそうだし」(西澤ステコさん)。参加者たちには廃虚の印象は強烈だったようだ。原野さんは「記憶の継承の在り方や形、その場に身を置くことの重要性を考えさせられた」と話す。

 オラドゥールはパリの南南西約400キロ。1971年に原野さんの前任教授に当たる杉山毅広島大名誉教授が訪問し、著書「緑の中の廃墟」でヒロシマと対比して紹介した。今回の学習旅行はカルチャー教室を運営するコミュニティ・アカデミー上幟(広島市)が企画。原野さんが広島や東京などのかつての研究仲間や知人に呼び掛けた。

(2018年10月8日朝刊掲載)

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