×

ニュース

忘れられぬ 被爆者の最期 金輪島で追悼の集い 救護の岡本さん 73年ぶり供養

 原爆投下直後、多数の被爆者が運ばれた金輪島(広島市南区)で救護に当たった松山市の岡本教義さん(88)が21日、73年ぶりに島を訪れた。大けがをした被爆者に十分な手当てができなかったことを悔いてきた。長年抱えてきた心の重荷。あの日と向き合い、少しだけ下ろせた気がした。(山下美波)

 20年前から島で営まれている犠牲者追悼の集いに参列した。約30人の被爆者や遺族と手を合わせた後、岡本さんはこう言って頭を下げた。「今日、私は金輪島で亡くなった方とご遺族におわびに来ました」

 73年前、島で旧陸軍船舶司令部(暁部隊)の軍属として専用船艇の修理の仕事などをしていた岡本さん。原爆投下直後、上官は市街地へ救援に向かい、島に残ったのは若い軍属や女子挺身(ていしん)隊員だった。

 当時14歳。桟橋近くにある軍の倉庫2棟は被爆者であふれ、医薬品はすぐに底を突いたと振り返る。「垂れ下がった皮を手で剝ぎ、海水で傷口を洗うことしかできなかった」。毎日のように負傷者が亡くなっていった。

 「自分の家族は全員無事だったのに、自分は治療もせず被爆者を見殺しにした」。戦後、犠牲者や遺族への申し訳なさから一度も来島できなかったと明かす。今夏、島で追悼の集いが毎年営まれていることを知り、迷った末に来島を決めた。

 73年ぶりの来島で、「心のわだかまりが少し解けた」と穏やかに語った。「これからは命の続く限り、島へ慰霊に来たい」と目線を上げた。

(2018年10月22日朝刊掲載)

年別アーカイブ