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「はだしのゲン」新たな遺稿見つかる 未完の第2部の16ページ分

 昨年12月に73歳で亡くなった漫画家中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」で、未完だった第2部の新たな遺稿16ページが埼玉県所沢市の自宅で見つかった。生前、原爆資料館(広島市中区)に寄贈していたのは第1話の最初から16ページまでで、その続きに当たる。 (田中美千子)

 眼底出血のため、第1話の途中で執筆を断念した第2部。原爆投下後の広島で成長したゲンが、絵の修業のため上京した後を描く構想だったという。

 見つかった17~32ページの遺稿はB4判の紙4枚をそれぞれ半分に折って裏表両面に描かれている。出会った戦災孤児の男児とのやりとりが、せりふをメーンに鉛筆で書き込んである。

 中沢さんの妻ミサヨさん(70)が1月、遺品の整理をしていて見つけた。近く資料館に寄贈する意向だ。前田耕一郎館長は「形として残した最後の作品かもしれず貴重。大切に保管したい」と話している。

故中沢さんの第2部原稿発見 空襲の孤児登場

 昨年12月に亡くなった漫画家中沢啓治さんの未完成の作品になった「はだしのゲン」第2部。新たに見つかった遺稿には、広島で被爆した自らを少年ゲンに重ね、戦争の愚かさを訴え続けた中沢さんの思いが色濃くにじむ。

世界行脚の構想も

 妻ミサヨさん(70)によると、第2部は16、17年前に出版社から連載の依頼を受けた。被爆後の広島をたくましく生き抜いたゲンが、絵の修業のため上京する物語だったという。

 原爆資料館(広島市中区)が中沢さんから生前に寄贈を受けたのは第1話の1~16ページ。東京に着いたゲンが自分のかばんを盗もうとした男児を捕まえ、身の上話を聞き始める場面までだった。

 新たに見つかった17~32ページには、2人の会話がつづられている。サブという名の男児は東京大空襲で両親を失い、生き延びた妹も栄養失調で亡くしていた。ゲンは自らの境遇と重ねる。

 「こんなおれが生きのこるためにはドロボーをするしかないだろう だれも助けてくれないんだから…」(サブ)

 「わかるよ、わしも広島のピカで同じ思いをしたけえのう…」(ゲン)

 「東京大空襲の被害者を登場させたのは原爆はもちろん、広く戦争を反対するメッセージを込めたのでしょう」。自宅の仕事場で遺稿を見つけたミサヨさんはそう推し量る。

 原爆資料館によると、中沢さんは執筆を断念した後も、第2話以降の構想を語っていたという。漫画家になったゲンがパリに絵の修業に向かったり、核兵器廃絶に向けて世界を行脚したり…。

 資料館は今夏、連載開始40周年にちなんだ企画展を予定する。「新しい遺稿の公開も考えたい」と前田耕一郎館長。ミサヨさんは「世界中から戦争と核兵器をなくしたいと願い、ゲンを世界に羽ばたかせようとしていた本人の思いを感じてもらえれば」と話した。

(2013年2月16日朝刊掲載)

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