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社説・コラム

『潮流』 戦に縁のある画家

■論説委員 田原直樹

 「とうとう大変な事になつた、大戦争、未曽有の欧州大戦争は始まつた」

 100年以上前、そう始まる手紙が千葉にいる妻の元に届く。差出人は藤田嗣治。渡仏1年、まだ無名の画家は第1次世界大戦に遭遇した。

 パリの混乱を伝えつつ「この大戦争の時欧州へ来た事を全く不思議に思つてる、これも縁さ」とも。

 1916年まで書き送った手紙179通が翻刻、出版されている。藤田が後年記す随筆とともに、名声を得るまでを知る資料として、また大戦中、欧州にとどまった日本人の記録として貴重だろう。

 陸軍軍医総監の息子という自負もあり、赤十字で傷兵に包帯を巻き、担架で運ぶ訓練を受けている。戦場を見れば、深い芸術のための経験になる、とも考えたらしい。

 飛行機や戦車、毒ガスなどが登場した近代戦の始まり。惨状を戦地に行かずとも見聞きした。ドイツの飛行船ツェッペリンによる爆撃も目撃し、爆撃された町、戦死者の墓などの写真入り絵はがきを妻に送った。

 今、没後50年の特別展が京都国立近代美術館で開かれている。やはり藤田の代名詞、乳白色の女性像が人気を集めるが、太平洋戦争の戦争画の前に立ち尽くす人も少なくない。

 第1次大戦期の絵も並ぶ。パリ郊外の風景や2人の少女像などだが、いずれも暗い。肌身で感じた戦争の空気や影を映すのだろうか。

 第1次大戦が終わってから明日でちょうど100年。欧州を中心にした1世紀も前の戦争は、現代の私たちにはなじみが薄いが、藤田の手紙や絵から学べるものは多いはずだ。

 日中戦争、太平洋戦争で従軍画家となり「彩管報国」に尽くすが戦後は戦争責任を問われ、日本を去る。「私程、戦に縁のある男はない」。後年、藤田は記した。その絵、その生涯は深い問い掛けをしてくる。

(2018年11月10日朝刊掲載)

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