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被爆死オランダ兵 広がる調査協力 森重昭さんの熱意に外交官ら共感 長崎祈念館 登録重ねる

 長崎で被爆死したオランダ兵捕虜の遺族を捜し、慰霊につなげる広島市西区の被爆者森重昭さん(81)の調査活動が、日本とオランダの官民の協力で少しずつ前に進んでいる。「敵味方なく、すべての原爆犠牲者の存在を歴史に刻む」ため、さらなる努力を続けるつもりだ。(金崎由美)

 長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館に犠牲者の名前と遺影を登録申請することが森さんの目標。15年ほど前に1度調査し、英国兵1人とオランダ兵3人の登録にこぎ着けた。残り4人のオランダ兵犠牲者の親族捜しを今年から再開し、生前の遺影を確認するために力を注ぐ。

目標は残り2人

 オランダ在住の日本人の力を借り、4人のうち11月までに2人の名前を登録できた。今月に入り、うち1人の遺影も見つかり、遺族に追加登録を打診しているという。残り2人の遺影も終戦後、日本側からオランダに引き渡されて同国の国立公文書館が所蔵する「銘々票」(捕虜カード)の中にあることが分かった。

 「こんなに早く展開するとは。残る2人の遺族の所在確認が最大のハードルだが、手を尽くしたい」と森さんは声を弾ませる。

 約15年前の前回調査との違いは、大量の公文書のインターネット公開が進んだことと、森さんに対する世界的な共感の輪だ。森さんを知る米ニューヨークの国連軍縮局の河野勉上級政務官が、オランダのファンオーストロム国連大使に協力を打診してくれた。在日オランダ大使館(東京)や現地の歴史研究者、市民へと協力の輪が広がった。

 長崎の捕虜は太平洋戦争の開戦から3カ月後の1942年3月、旧日本軍がオランダ領東インド(現インドネシア)を占領した際、捕らえられた。長崎市の俘虜(ふりょ)収容所福岡第14分所に翌年移され、被爆時は約300人が三菱長崎造船所で過酷な労働に使われていた。連合軍兵士の捕虜は全体で約25万人に上るともいわれ、うち3万6千人が尾道市向島など日本国内130カ所の収容所に移送されたという。

相互理解の一歩

 オランダ政府に協力して銘々票の英訳に携わり、森さんへの情報提供も続ける市民団体POW研究会の笹本妙子共同代表(70)=横浜市=は「あなたのことを忘れない、とすべての犠牲者に誓う森さんを通して連合軍捕虜への関心が高まってほしい」と願う。

 オランダ在住で、戦争体験を語り合う「日蘭イ対話の会」のタンゲナ鈴木由香里代表(67)も「オランダでは一部で反日感情が根強く、原爆投下で解放された、と信じる元捕虜もいる。慰霊は地道な相互理解の一歩になる」と森さんの活動に力添えする。

(2018年12月17日朝刊掲載)

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