×

ニュース

被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪

墓の地元 グループ結成へ 広島修学旅行も再開

 広島で原爆に遭い、犠牲になった東南アジアからの「南方特別留学生」の一人で、現在のマレーシア出身のサイド・オマールさんの墓が、亡くなった京都市にある寺に立つ。地元で足跡を学び、伝える動きが広がりつつある。(山本祐司)

 1943年に来日したオマールさんは広島文理科大(現広島大)で学び、爆心地から約900メートルにあった「興南寮」で被爆。帰国を前に体調を崩し、途中下車した京都市で45年9月に死去した。当時19歳だった。市営墓地を経て市職員らの努力でイスラム教式の墓石に作り替えられ、61年に左京区の円光寺に移された。

 毎年の命日に関係者が集ってオマールさんをしのんできたが、墓を守る会は2008年に解散。当時を知る人は減った。同寺の大坪慶寛住職は「市民の善意で建てられた墓を支え、平和を考える機会にするには寺だけでは限界がある」と元小学校教諭、早川幸生さん(70)に相談した。

 早川さんは寺に近い修学院小にいた1990年ごろ、児童の地域学習で墓の存在を知り、広島の興南寮跡を訪ねる修学旅行を始めた経緯がある。来年春をめどに市民有志の「供養する会」をつくろうと仲間の元教員らに呼び掛け始めた。「広島でなくても、オマールさんの墓を通じて原爆を学べる。『知る扉』が開かれたと考え、語り継ぐ活動を続けたい」と話す。

 こうした動きとは別に、現在の修学院小もオマールさんに再び着目している。一度は修学旅行先を変えたものの、保護者や教員の希望を受けてことし、4年ぶりに広島を選んだ。オマールさんの墓を訪れた後の11月、6年生約120人が広島の興南寮跡で当時の留学生たちを知る被爆者の栗原明子さん(92)=安佐北区=から証言を聞いた。

 「子どもたちが核兵器はいけないと思うためには体感することが大切。オマールさんは京都と広島をつなぐ身近な存在」と浦杉伸介校長。来年以降も修学旅行で広島を訪れたいという。

(2018年12月24日朝刊掲載)

年別アーカイブ