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記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 大田金次さん―猛火 死体あふれる川へ

大田金次さん(79)=広島市中区

家族身を寄せ 布団かぶって耐えた

 「原爆という非人間的な過ちは決して繰(く)り返されてはならない。そう叫(さけ)び続けたいほどの気持ち」。大田金次さん(79)=広島市中区=の強い思いは爆心地から900メートルの近さで被爆し、家族で猛火(もうか)を逃(に)げた記憶が幼心に深く刻(きざ)み込まれているからです。

 現在の中区広瀬町で、父金一さんと母芳子さん、3歳の弟昭造さんとの4人暮らしでした。当時5歳。1945年8月6日、幼稚園(ようちえん)に行くため母を追って玄関(げんかん)先に出た時でした。閃光(せんこう)に襲(おそ)われ気を失いました。

 「金次!」。母の声に気付くと崩(くず)れた家の下敷(したじ)きでした。勤めに出る前だった父と4人ではい出し、近くの天満川へ逃(に)げました。周りは火の海でした。

 雁木(がんぎ)という階段状の船着き場は、黒焦(こ)げになった人でいっぱい。誰かに足首をつかまれ「水を」とすがられました。「握力(あくりょく)は弱く、足を引くとずるむけの皮ごと抜ける感触(かんしょく)。忘れられない」

 父が流れてきた材木を川岸に立て掛(か)け、水に浮(う)いていた布団をかぶせました。崩(くず)れた家、遺体や馬の死骸(しがい)であふれた川につかり、布団の下で灼熱(しゃくねつ)をしのぎました。

 干潮で川の水位も下がるのを待ち、砂地に横たわる死体をよけながら、天満川から当時の福島川、山手川と両親に手を引かれて渡(わた)りました。「いざというときのために」と己斐(こい)駅(現西区)の裏手の山中に持っていた小さな家に身を寄せました。

 大田さんを守るように熱線を浴びた母は首から下の上半身に大やけどをし、大田さんも傷に湧(わ)いたうじに苦しみました。放射線による急性症状(しょうじょう)で、最初に母の頭の髪(かみ)が全部抜け、鏡の前で泣いていました。「気が付けば全員がそうなっていた。しかも保存していたサツマイモが底を尽(つ)き、空腹で起き上がれなくなった」。深手を負った母に代わり、父と2人で懸命(けんめい)に食料を探し歩きましたが、万策尽きて11月ごろ、母は三原、大田さんたちは竹原の親類宅に助けを求めました。

 翌年に自宅跡(あと)に戻り、原爆で焦(こ)げた廃材(はいざい)を父と一緒にかき集めて「黒い家」を建てました。爆心地に最も近い現在の本川小に入学。やはり「鉄道草と呼ぶ道ばたの雑草を摘(つ)んで給食のお団子に入れてもらったほど、食べ物が足りなかった」と振(ふ)り返ります。

 大田さんは苦学の末に旧国鉄に就職し、民営化後のJRから出向してアストラムラインの開業にも携(たずさ)わりました。新幹線の運行(うんこう)指導や、ダイヤグラムの線を引く通称「スジ屋」の仕事。「被爆体験の風化に対する危機感は持っていた。でも忙(いそが)しかったし、あの光景は思い出したくない記憶。家族やわが子と話すこともなかった」

 心境が変化したのは5、6年前のこと。地元の社会福祉(ふくし)協議会の会長として原爆死没(しぼつ)者慰霊(いれい)祭に毎年関わったことがきっかけです。

 広瀬地区では、住民の多くが即死(そくし)したと推定されており、大田家のように奇跡(きせき)的に元の場所で暮らしを立て直した家族はわずかでした。「危機感を持つだけでなく行動し、生き残りの1人として次世代に語り継(つ)ぐべきではないか」と考え始めました。

 2015年から修学旅行生らに体験を証言しています。高齢(こうれい)被爆者の活動が年々難しくなる現実に、「比較的(ひかくてき)若い者も頑張(がんば)らなければ」と自分に言い聞かせています。「核兵器は、原爆を生き延びた人も放射線の健康被害で苦しめ続ける凶悪(きょうあく)な兵器」と大田さん。「広島で知ったことを親やきょうだい、友達に伝えて」。核兵器廃絶と平和への願いを若い人たちに託(たく)します。(金崎由美)

私たち10代の感想

自分にできる行動とは

 大田さんが証言活動を始めたのは、被爆体験の風化に危機感を持つだけでなく、行動したいと思ったからだそうです。私は取材で被爆体験に触れて記事を書く機会が多くありますが、これで十分だと満足していないか、自分に問いました。原爆で起こったことを私からもっと若い人に伝えるため、できる行動をもっと考えたいです。(中2桂一葉)

広島を離れ努力続ける

 「被爆後の光景は、思い出したくない記憶」と大田さんは言います。破壊された広島の街。たくさんの死体。5歳の子どもには残酷過ぎる体験です。私は春から広島を離れて大学に行きますが、周りは原爆について知らない人ばかりかもしれません。大田さんのような被爆者の思いを引き継ぐ努力は、これからが大切です。(高3池田穂乃花)

(2019年1月14日朝刊掲載)

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