×

社説・コラム

『潮流』 聖火の記憶

■運動部長 山中和久

 雲間から原爆ドームが現れ、その奥に広がる広島市平和記念公園は「平和の火」を待ちわびる人々でいっぱいだ。2020年東京五輪に向け、先の東京大会を知っておかねばとDVDで見た映画「東京オリンピック」。殊の外、印象的だった聖火の日本到着を告げるシーンである。

 「原爆の火と聖火の火、全然異質なものだが、平和を基底にした二つの歴史的接点として広島を取り上げた」

 総指揮を執った市川崑監督が本紙に語る。母や姉たちが比治山の下に住んでいて被爆し、自身も直後に入市して焼け野原を目の当たりにしたとロケハン時に明かしていた。

 開幕3週間前の1964年9月20日、聖火リレーは広島市に着いた。沿道を45万人が埋めた。原爆慰霊碑前への走者に抜てきされたのは剣道で全国高校総体女子個人を連覇し、全日本女子選手権を最年少で制した少女剣士。当時、市立広島商業高3年の松尾和恵さん(72)だった。

 大役を担った感激は、母親の告白の記憶とともにある。聖火ランナーに決まったとき初めて、被爆した「あの日」のことを話してくれた。

 原爆ドーム近くを走る路面電車に乗っていたと聞いた。姉を背負い、満員の車両の中で押しつぶされそうになる。閃光(せんこう)に続く大きな音。周りの人が次々に倒れ息絶えた。電車を出てひたすら歩き、山を二つ越えて朝を迎えた。途中で見た惨状も教えてくれた。

 「それまでの母は『思い出したくない』と語らなかったので驚いた」と松尾さんは思い返す。娘に平和への願いを託したのだと今は思う。

 再びの東京五輪を前に「核兵器は依然としてあるし、世界は今の方が落ち着かない感じがする」と松尾さん。五輪も大きく変わった。聖火リレーは来年5月、広島へやってくる。映画の中でトーチの火に見えた希望。56年後の今度は何が見えるだろうか。

(2019年2月14日朝刊掲載)

年別アーカイブ