×

社説・コラム

『想』 網本えり子 朗読で伝える

 「七日になっても帰らなかったね…八日になってもね、九日になってもね…市女は全滅じゃと誰が言うともなくつたわったのよ」(「流燈」広島市立第一高等女学校原爆追憶の記から、詩「思い出」の一部抜粋)

 広島の原爆で、一つの学校で最大の666人の生徒を失ったのが市立第一高女(現市立舟入高)。平和記念公園内の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で現在、企画展「流燈・広島市女追憶の記」が開かれている。

 私は追悼平和祈念館の被爆体験記朗読ボランティアとして、主に小中学生に朗読会で体験記の朗読を聞いていただいてきた。被爆体験記をどう朗読するか、いまだに手探りが続く。

 体験記を読み手主体の表現として読むのは無理があると感じ続けている。「感情を込めて」と言うが「演じて」しまっては書き手の思いから離れていく気がする。そんな葛藤の中で、ボランティア仲間と模索を続けながら朗読会は14年目を迎える。

 私自身は「戦争を知らない」世代。若い頃、戦争も知らないくせに文句言うなという雰囲気があった。60代半ばを過ぎ、今を「戦前」にしないために一体何をしてきたのかと考える。経済格差が世界に広がる。国家間の対立が起こり、世論がそれに感情的になびいていく。戦争はこんなふうに起こされ、戻れなくなるのだろうか。

 だが親世代が言うように、いつのまにか戦争が起こり、抵抗できない時代だったとはもう言い訳できない。広島、長崎21万人、沖縄20万人、日本全体で310万人、アジアで2千万人以上の死者の無念を、われわれは知るのだから。

 3月3日、朗読ボランティア有志の会の朗読劇「流燈」を、追悼平和祈念館で上演することになった。脚本はボランティア仲間の伊藤隆弘さん(元舟入高校長・演劇部顧問)による。待ち続ける親の悲嘆、怒りを、遺族からの手紙を読む思いで伝えたいと思う。過ちを繰り返させない、繰り返さない、その意思が、まっすぐ次の世代に継承されることを願っている。(NHKカルチャー朗読講師)

(2019年2月23日セレクト掲載)

年別アーカイブ