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社説・コラム

天風録 『キーン氏と血痕の残る日記』

 暖房器具がお蔵入りする季節が足早に近づく。ドナルド・キーンさんは底冷えの京都も火鉢でOKだった。それに比べて英国の冬は暖炉の扱いが大変で、上着の裾をよく焦がしたものだと嘆く▲ところが日本研究の泰斗も「火鉢」の訳には苦労した。炭の匂いや陶器の感触は直訳では伝わらない。「四畳半」も同じだろう。広さを指すだけではないのに、何が悲しくて、狭い部屋に-と嘲笑されるのが関の山だ。なぜ火鉢か、なぜ小間か、日本文化の機微を論じてきた人の訃報を聞いた▲太平洋戦争中、米海軍で翻訳の任務に就く。血痕が乾いて臭う日記の筆者たちが、最初に知った日本人だった▲「時たま最後のページに英語で伝言が記してあることがあった」とキーンさんは自伝につづる。この日記を発見したら、家族に届けてほしいという兵士の切なる願い。やがて最後の激戦地になるとは想像もしなかった沖縄に上陸し、生身の戦争の腐臭を知るのだ▲沖縄・読谷(よみたん)の浜を晩年訪れて地元紙に「戦争はもう終わったはずだ」と語り、基地の存在に首をかしげた。一方で、二つの母国を持つ身を幸せだと信じていた。日本も変わるよ、と天からうかがっている気がする。

(2019年2月25日朝刊掲載)

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