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原広司さん死去 87歳 原爆ドーム3300枚描く

 核被害の象徴として原爆ドームの絵を描き続けた被爆者の原広司(はら・ひろし)さんが14日午前11時5分、悪性中皮腫のため広島県坂町の病院で死去した。87歳。広島市安芸区出身。自宅は広島市安芸区矢野西4の6の14の304。葬儀は家族で営む。喪主は長男の広信(ひろのぶ)氏。

 原爆が投下された1945年8月6日、県立広島工業学校(現県立広島工業高)1年だった原さんは、中島新町(現中区)で建物疎開作業に従事する予定だったが、前日の作業の代休で江田島の親戚宅を訪れていた。作業に出た1年生180人余りは全員が犠牲となった。原さんは、翌7日に入市。後年、当時目撃した惨状も描き残した。

 国鉄職員を経て、旧矢野町議を3期務めた。84年、証言活動に取り組む被爆者による「ヒロシマを語る会」の創設に加わり、後に代表にも就任。同会は95年に谷本清平和賞を受けた。2001年に同会が解散すると「被爆証言の会」を設立し、碑巡りでは自らガイドもした。ドームの絵は84年ごろに描き始め、3300枚以上を残した。

(2019年4月16日朝刊掲載)

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