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連載・特集

[考 fromヒロシマ] 支援から交流へ 新たなステージ 韓国・大邱と広島の会結成

被爆体験継承 若者に期待

 韓国には、広島や長崎で被爆した約2240人が暮らす。被爆地の市民や被爆者らから支援を受け、在外被爆者にも援護制度を全面適用するよう日本政府に求め続けた。そのかいあって援護格差の是正は進み、日韓の関係者たちは「支援」に加え「交流」を模索する新たな段階に入っている。活動の根底にある「被爆者はどこにいても被爆者」の精神を次世代につなぎ、被爆体験を継承する試みである。今月、広島の市民団体とともに韓国を訪れ、その道筋と課題を探った。(桑島美帆)

 のどかな田園風景に囲まれた韓国南東部の陜川(ハプチョン)郡。今月20日、約100人の被爆者が暮らす療養施設「陜川原爆被害者福祉会館」に、広島の市民団体「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部(中谷悦子支部長)」の関係者が訪れた。

 入居者の平均年齢は84歳。広島で被爆し、戦後帰国した人たちだ。交流会の会場で最前列に座った李水龍(イ・スヨン)さん(90)は感極まって涙をこぼした。爆心地から1・5キロの広島貯金局で被爆。血だらけになりながらも生き延び、家族と1945年11月、密航船で帰国した。

 日本で育ったため「韓国語が分からず、生活も本当に苦しかった」と李さん。4人の子を育て上げ、8人の孫に恵まれた。だが孫に被爆体験を語ったことはないという。「原爆に遭ったことが知れ渡れば、孫の結婚に影響するから」

根強い肯定論

 韓国では、原爆が朝鮮半島を植民地支配していた日本の敗戦と解放をもたらしたという肯定論が根強く、被爆体験を表立って語る場がほとんどない。「差別もあり原爆被害者は口を閉ざす。被爆体験が知られない要因だ」と、韓国原爆被害者協会の李圭烈(イ・ギュヨル)会長(73)。自身は胎内被爆者だ。

 「今のうちに高齢のわれわれから日韓の若い世代に働き掛け、在韓被爆者の体験と、支援活動の歴史を伝えたい」。広島支部の豊永恵三郎さん(83)=広島市安芸区=は、72年から在韓被爆者の被爆者健康手帳取得や渡日治療に力添えしてきた一人だ。今回の訪韓は、大邱(テグ)市の「韓国原爆被害者協会大慶(テギョン)支部」と提携し、交流活動の受け皿となる「核兵器廃絶と平和な世界の実現をめざす大邱と広島の会」を結成するのが目的だった。

 広島支部のメンバーたちは、日韓の若い世代がともに両国の被爆者の体験に耳を傾けて、「二度と繰り返させない」と核兵器廃絶に取り組むことを期待する。生後9カ月の時広島で被爆した釜山支部の柳秉文(リュ・ビョンムン)支部長(74)は「被爆した当事者は私の世代が最後。日本語ができず体験も覚えていないが交流を深めたい」と共感する。

認識のずれも

 だが、「原爆被害」「次世代」を巡る認識には微妙なずれや溝も垣間見える。

 現地の被爆者の中には「日本の植民地下にいたわれわれと、支配した側の日本の被爆者では立場が違う」と断じる人もいた。

 実際には、核兵器廃絶運動より被爆2、3世の医療支援を求める運動への関心が高そうだ。釜山市で今春、2、3世支援を盛り込んだ条例ができるなど、成果は出ている。陜川郡に2年前オープンした原爆資料館の展示も、在韓被爆者の苦しみを伝えると同時に「被爆者の子や孫にも健康問題がある」と主張する。

 日本統治時代の貧困や徴用・徴兵。帰国後は朝鮮戦争に巻き込まれ、援護を受けられないまま被爆の後遺症に苦しんだ人は多い。広島支部の関係者たちは、「原爆被害を韓国人の苦難の歴史としても捉えながら、広島の市民こそ在外被爆者の体験継承に関心を持ってほしい」との思いを新たな日韓平和交流に込める。

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核なき世界へ共に行動 韓支部長

 韓国の被爆者団体からみた広島との交流の意義について、韓国原爆被害者協会大慶支部の韓坂介(ハン・パンゲ)支部長(82)に聞いた。

 被爆者同士の交流自体に意義がある。日韓関係は良くない状況だが、原爆被害者の痛みは日本人も韓国人も同じであり、政治状況は関係ない。核兵器のない平和な世界を目指し一緒に行動したい。

 日本に渡った韓国人被爆者の大半は貧しい家庭の出身で、終戦後に解放され祖国に帰国しても生活基盤がなく、苦労した。被爆者だと二重に差別され、結婚が難しかったり、離婚に追い込まれたりした人も多い。体験を語りにくい事情は今も続いている。

 私は8歳の時に打越町(現広島市西区)で被爆し、大芝公園に避難した。全身の皮膚が溶けたように焼け、だらりと垂れ下がった人たちでいっぱい。おぞましい光景だった。原爆は本当に恐ろしい。

 朝鮮半島は分断され、北朝鮮の核問題を抱えるが、私が体験したような核兵器の恐怖は、よく知られていない。原爆被害の実態を伝える写真展を開きたい。もちろん相互訪問も重ねる。来年の広島訪問も検討している。韓国人被爆者として、被爆時と戦後の体験を語りたい。

(2019年4月29日朝刊掲載)

韓国語版はこちら(헌국어 기사는 여기 있습니다)

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