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社説・コラム

天風録 『敗者への想像力』

 夏目漱石はロンドンで上空をはう電車の架線に驚いた。山形の少年もまた東北からの終着駅、東京・上野でまずは架線を記憶に刻んだそうだ。文芸評論家の加藤典洋(のりひろ)さんが、随筆で振り返っていた▲上野といえば後に逆賊として死した維新の英雄、西郷隆盛が着流し姿で今もいる。加藤さんは「ことによったら日本で一番私の好きな『銅像』かもしれない」と記しこの国の「敗者への想像力」の証しとみる。なるほど、旧幕臣の彰義隊が討たれた上野は敗者の地にほかならない▲加藤さんは「敗戦後論」を世に問い、近代日本の本質に挑んでいた。71歳の訃報は早すぎる▲明治を語る際に加藤さんは「底の浅さ」という表現を用いた。欧化にとって「ヤバい」攘夷(じょうい)思想を封印したことを指す。歳月を経て攘夷はよみがえって戦前昭和の軍部の暴走に至り、ヒロシマ・ナガサキの惨事を招き寄せる。だが根っこを断てていないヤバいものはこれから先も、目を覚まさぬ保証はあるまい▲西郷さんだけではない。アメ横あり、芸大あり、終着駅らしい「何でもあり」を加藤さんはこよなく愛したようだ。今しばらく、近代日本の終着点を見据えてほしかったと思うばかりである。

(2019年5月22日朝刊掲載)

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