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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 「海軍反省会」の出版

■大和ミュージアム館長 戸高一成さん

人間の心情も記録に残す

 昭和の戦争の歴史をどう受け継いでいくか。令和になっても忘れてはならない課題だろう。旧海軍史の研究者でもある大和ミュージアム(呉市)館長の戸高一成さん(71)は「若い人に自ら知ろうとするきっかけをつくることが大事」と、旧海軍の中堅幹部たちの証言集を10年がかりで完結させた。何を反省し、資料をどう生かすべきかを聞いた。(論説委員・番場真吾 写真・川村奈菜)

  ―元号が変わり、ますます昭和が遠くなっていきます。
 私が若い頃、戦艦大和のことであれば、設計した人でも艦長でも直接聞けました。責任ある立場にいた人はいなくなり、太平洋戦争は完全に「歴史」になりました。資料でしか知ることができません。戦争をどう伝えていくか、難しい時代に踏み込んできたと思います。

  ―証言を本にしたのも資料を残さなくてはとの思いですか。
 歴史は大きく、多くの文献を見てもなかなか実態は分かりません。結論や良いことしか書いていない資料も多く、とりわけ人間の心情は文字の情報としてきちんと記録されていません。

 今回出版した「海軍反省会」は400時間に及ぶ録音テープが残り、話しぶりから後悔や怒りなどの感情もうかがえます。ただ、音声だけでは誰の発言かは分かりません。今では会議の雑用係を頼まれた私しか声の主を判別できず、文字に起こすことにしました。500ページほどの本で全11巻あります。聞き取りにくい部分も多く、予想以上に大変でした。でも、やって良かったと感じています。

  ―どんな会議でしたか。
 連合艦隊の参謀や戦艦大和の艦長、設計主任など旧海軍の中堅幹部約20人を中心に延べ50人ほどが発言しています。彼らは戦後、あまり発言するチャンスがありませんでした。80代前後になって、このままでは永遠に体験を語ることもないという危機感もあったのでしょう。1980年から91年まで東京で計131回集まり、一番若かった私にテープが託されました。

  ―何を反省したとみますか。
 幹部たちは米国に勝てると思っていなかったのに破滅的な戦争に向かい、海軍自体も消滅させてしまいました。失敗の歴史への反省と、責任も追及することで後世への教訓を残そうとしたと思います。

  ―何を間違ったのでしょう。
 やはり組織を守るための海軍になっていたところでしょう。日本は今でもそうですが、人より組織の方が権限を持っています。組織に思考能力はなく、考えるのは人間なのに、失敗しても組織の責任と思いがちです。

  ―人間を兵器にした特攻もそれが一因でしょうか。
 国とか軍隊は国民を守るためにあるのに、自らの組織を守るために国民が殺されました。本末転倒ですが、組織は動きだすと個人では止められません。それが戦争の怖さということです。今の若い人たちも知ってほしいですね。

  ―証言をそのまま信じていいのでしょうか。
 すべてが正直な告白ではなく、自己弁護や海軍擁護論もあるでしょう。資料をきっかけに自分で調べることが大事です。歴史は、どのようなことも駄目なことだけ、良いことだけではありません。大和も、失敗の歴史という面だけでなく、日本の造船技術を大きく進歩させた歴史でもあります。両面を知り、深く考えることで、より良い平和な将来の在り方を考えてほしいと思っています。

  ―大和ミュージアムでは戦争をどう伝えていきますか。
 博物館は、教えるところではありません。大事なのは興味を持ち、自分で調べたいと思わせる場所だと考えています。一方的に教えられたものは忘れます。大和の10分の1模型を見て興味を持ち、調べると、3千人が一緒に沈んだ歴史を知ります。海底から引き揚げた遺品を見て、悲惨なことが本当にあったと分かります。平和の大切さを伝えるため、貴重な資料を集め、見て感じてもらうことが、終わらない仕事だと思います。

  とだか・かずしげ
 宮崎市生まれ。多摩美術大卒。財団法人史料調査会理事、昭和館図書情報部長を経て、04年に呉市企画部参事補として招かれる。05年から大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の初代館長。著書に「海戦からみた太平洋戦争」など。

■取材を終えて

 大和ミュージアムを案内するボランティアが時間を割くのは大和とともに亡くなった人や、原爆などの被害を伝えるコーナーだ。案内の仕方で展示の受け止め方も変わる。旧海軍をはじめ数多くの関係者に会ってきた戸高さんの歴史に対する肌感覚が館にも表れている気がした。

(2019年5月22日朝刊掲載)

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