×

社説・コラム

『書評』 「雪風」に乗った少年 西崎信夫著、小川万海子編

軍の不条理 語り尽くす

 著者西崎信夫は1927(昭和2)年生まれで、評者の亡き父と同い年。ともに海軍で18歳の年に終戦を迎えていることに親近感を覚えた。父も晩年には呉駐屯の陸戦隊員として原爆投下後の広島へ救援に向かった体験を明かしてはいたが、著者の語りは軍隊の不条理を余すところなく伝えている。

 三重県生まれの著者は15歳で「海軍特別年少兵(特年兵)」に志願した。大竹海兵団から横須賀の水雷学校を経て、駆逐艦雪風の魚雷発射管射手を命じられ、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦などに加わった。戦艦大和の瀬戸内海から沖縄への出撃にも従って巨艦沈没を目の当たりにする。死を覚悟するも雪風は幸い佐世保に帰投でき、戦後は賠償艦として戦勝国に引き渡されるまでを見届けた。

 語りはリアルで、武勇伝とは程遠い。潜水艦の攻撃で遭難した徴用船の生存者をいかだから救助した時のことだ。乗員の誰もがミイラ同然で首も据わらなかった。お尻を支えて雪風の甲板に押し上げる際には、著者の顔に排せつ物を垂れ流す者もいるありさまである。

 サイパンまで護衛した病院船氷川丸には多数の兵隊がひそかに便乗していた。敵の標的になるだけだ。沖縄戦はその最たるものだが、このように民間人を巻き込んで危険にさらした軍部への憤りがひしひし伝わる。

 空母信濃の撃沈にも遭遇した。傾いた巨艦を駆逐艦でえい航せよ、という素人同然の命令には驚いたが、信濃の乗員の多くが泳げないことにも著者はがくぜんとする。ベテランが引き抜かれ、訓練不足の者で補っていたのだ。撃沈にはかん口令が引かれ、生存者は口封じのためか、程なく前線に送られたという。

 著者が生きて帰郷すると、母親は「世間様に何も恥じることはない」と出迎えてくれた。戦争の自慢話はするな、くわえたばこで威張って歩くな、と諭してもくれた。その教えは行間ににじみ出ていよう。編者小川万海子(まみこ)による「西崎氏ゆかりの地を訪ねて」などのコラムが、著者の語りを大いに助けている。(佐田尾信作・特別論説委員)

藤原書店・2916円

(2019年4月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ