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連載・特集

[考 fromヒロシマ] オバマ氏広島訪問3年

 バラク・オバマ氏が現職の米大統領として初めて被爆地広島を訪れてから、27日で3年の節目を迎えた。平和記念公園の原爆慰霊碑前での17分間の演説。10分間の原爆資料館見学。計52分間の被爆地滞在は、「核兵器なき世界」への道を前進させたか。歴史的訪問をさまざまな思いで見つめた3人に、あの日とそれからを振り返ってもらった。

核なき世界 行動伴わず

日本被団協代表委員 田中熙巳(てるみ)さん(87)=埼玉県新座市

 「道徳的な目覚め」という言葉が、オバマ氏の演説の中でとりわけ印象に残りました。まさに同じことを思い続けてきたからです。「核兵器をなくさなければいけない」と、市民一人一人が自覚しない限り、問題は解決しないのだと。

 日本被団協を代表し、長崎の被爆者としてあの場に居合わせた私は当時「よく言ってくれた」と喜びました。核兵器を禁止、廃絶する条約を求める「ヒバクシャ国際署名」を提唱した時期でしたから。

 ところがどうです。オバマ氏は核軍縮を実質的に進展させなかったばかりか、核兵器の近代化さえ進めました。大統領を退いても影響力を発揮できるのに、核を巡る発言は聞こえてこない。10年前のプラハ演説で言われた「核なき世界」を期待した人に、「やはり無理か」という失望感を広げたのは残念でならない。

 米国はある意味「正直な国」ですね。オバマ氏の次の大統領に、あのトランプ氏を選んだ。彼は脅しを使っても自国に有利な条件を引き出そうとしている。トランプ氏に世の常識は通じない。イラン核合意から一方的に離脱し、義務履行の一部停止を表明したイランに圧力を強めている。本当に危ない。

 厳しい現実といえば私たちの足元にも存在します。首相の安倍晋三さんは、オバマ氏と原爆慰霊碑の前に立ち、一緒に核兵器廃絶を訴えました。今はトランプ氏の言いなり。従属に他ならないと私には映ります。

 時に私は自問します。訴えが弱いのだろうか、と。被爆者の呼び掛けは聞いてもらえると期待したが、国際署名が十分に広がっているとは言えません。「道徳的な目覚め」へと世界を導くにはどうすべきか。知恵を絞りながら、若い人にこう問い続けるつもりです。どんな国で、幸せな人生をつくり上げたいですか―。

 核兵器が再び使われたら待っているのは破滅。それに気付けば、今やるべきことは見えてきます。(聞き手は田中美千子)

原爆の怖さ 伝え続ける

被爆者・歴史研究家 森重昭さん(82)=広島市西区

 米大統領の演説に招待されるとは、思いもよらぬこと。二度とない機会、と懸命に耳を傾けていたら突然、広島で被爆死した米兵捕虜の慰霊を続ける私のことがオバマ氏の口から語られました。心臓が飛び出るかと思うぐらい驚き、歴史の片隅に自分がいると感じました。演説後、私の手をしっかり握り、背中を力強くさすってくれました。

 被爆したのは8歳の時。生死を分けるのは紙一重の違いです。「生き残った者として、誰からも顧みられない米兵の犠牲者のことを調べ、遺族に伝えたい」。歴史研究の中で思い立って12人の足取りを調査し、遺族と文通を重ねました。

 オバマ氏とはほとんど言葉を交わしませんでしたが、謝意を体現してくれた。心と心が通じ合ったのだと思っています。

 あの日以来、各地に呼ばれます。昨年は妻と初訪米し、米兵の原爆犠牲者の慰霊式に参列したほか、各地で講演しました。私の半生を描いた映画「ペーパー・ランタン(灯籠流し)」を上映後に観客と対話します。どこも最後はスタンディングオベーション。「敵国のため、生涯を懸けてここまでしてくれているとは」と話し掛けられます。

 米国ではうれしい体験続きだった一方、気付かされたことも多々あります。

 被爆の健康影響は今も続いている、と話すと皆が驚きます。大半の米国人は核被害について本当に知らないのだ、とこちらが驚いてしまいます。そのような人たちの心に直接働き掛ける機会も、オバマ氏との出会いがあったから。映画上映を続け、原爆の恐ろしさをもっと伝えていかなければなりません。

 後任のトランプ大統領は、オバマ氏と違って自国のことしか頭になく、世界平和について何も考えていないと感じます。私はこれからも、求められる限り「二度と戦争のない、平和な世界を一緒につくっていこう」と訴えていきます。(聞き手は桑島美帆)

投下責任を問うてこそ

核兵器廃絶をめざす ヒロシマの会(HANWA)共同代表 森滝春子さん(80)=広島市佐伯区

 オバマ氏が広島を訪問する11日前、私たちは「核兵器はいかなる理由でも肯定されず、直ちに廃絶されるべき非人道的なものだと広島から世界に宣言」し、「原爆使用が絶対的に過ちだったと認め、死没者と被爆者に謝罪する」よう求める要請文をホワイトハウスなどに送りました。

 米国は、原爆を使って広島と長崎の市民を無差別に大量虐殺し、現在も世界最強の核兵器保有国です。その当事国のトップに対して、広島の私たちこそ原爆投下責任を問わなければ、という思いがありました。

 オバマ氏は演説で、冒頭から「71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死が舞い降り、世界は変わった」と言いました。人ごとのようです。核兵器廃絶の決意も、自国の保有核を減らす具体的な施策もなかった。

 しかし広島の内外で「友情」や「和解」のムードが席巻し、米国が原爆使用を正当化し続けている、という未解決の問題が一気に見えにくくなってしまった。私たちは、一瞬で命を消された声なき者の無念を代弁する意思をどれだけ維持しているか―。広島に重い課題を残したと思います。

 あの日は、平和記念公園での演説シーンの映像を見届け、「オバマ大統領の広島訪問の意味を問う」と題する市民シンポジウムを共催しました。訪問を評価する声があった一方で、演説が具体的内容を欠いたことや、原爆資料館の見学がわずかだったことへの批判も出ました。しかし歓迎一色の中で、冷静な議論への注目を世論やマスコミに働きかけることは、なかなか難しかった。

 オバマ氏訪問の翌年、世界では核兵器廃絶を求める122カ国・地域の賛成で核兵器禁止条約が実現しました。原爆慰霊碑前で「核兵器なき世界」を誓うポーズを見せた日米両首脳は、その条約に背を向けています。志を共有する国と市民が世界で連帯することでしか、廃絶への道は開けません。(聞き手は金崎由美)

(2019年5月27日朝刊掲載)

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