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連載・特集

緑地帯 菊池智子 インド平和日記 <6>

 子どもたちと一緒に平和教育プログラムを展開する中、ふと気になったのは、戦争がなければ平和なのかということ。

 今、インドに戦争はないけれど、目の前の社会はとても平和には見えない。路上で物乞いする子どもたちや夜を明かす極貧層、人間扱いされない日雇い労働者、レイプされる少女、自殺する村の農民。その人生には幸せを求める隙間もない。人間が人間らしく生き、男も女も老人も子どもも障がい者も幸せになれることが必要だ。

 わたしは漫画「わが指のオーケストラ」と出会い、翻訳しようと決めた。大阪市立ろう学校の教師高橋潔氏の実話で、約100年前のろう者の実情や手話を否定したろう教育の歴史を描く。それは今のインドのろう者の実情と重なる。インドの著名な手話研究者は、高橋先生と自分が重なり、ろうの教え子の顔が浮かび、涙が止まらなかったと感想を語った。

 インドのろう支援団体代表のロマ氏は、主婦として団体を立ち上げ、拡大し、社会貢献賞を受賞した女性。同団体のろうの若者を招いて、私がヒンディー語で漫画のあらすじを説明し、ロマ氏が手話通訳するという珍しいイベントを開催した。

 終了後はろうの若者が手話で感想を語ってくれた。以前は自分も全く言葉を知らず、漫画の主人公のように怒ってばかりいた。家族はどうせ何もできないからと外に出してくれなかった。でも今日参加して、自分にもできると自信がついた、と。会場には笑顔が広がり、頭上でひらひらと両手のひらがゆれ、手話の拍手が響いた。(翻訳家=ニューデリー)

(2019年5月31日朝刊掲載)

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