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法王の広島訪問待つ被爆者神父 カトリック幟町教会の深堀さん 核廃絶へ 力強い言葉発信を

 11月に来日予定のローマ法王フランシスコを待つ被爆者の神父がいる。カトリック幟町教会(広島市中区幟町)の深堀升治神父(82)。38年前に初めて広島を訪れた2代前の法王は「戦争は人間の仕業」の言葉を残した。以来、多くの信徒が封印を解くように被爆体験を語り始めた。かねて核兵器廃絶を呼び掛けてきた法王フランシスコにも広島からのメッセージを期待する。(久行大輝)

 「広島を考えることは、核戦争を拒否することです。平和に対しての責任を取ることです」。1981年2月25日、故ヨハネ・パウロ2世は中区の平和記念公園で平和アピールを発表した。中でも、日本語での「戦争は人間の仕業です」の言葉が「信徒の胸のつかえを取り除いた」と深堀神父は振り返る。

 長崎で自ら被爆しながら被爆者救護に当たったカトリック信徒で医師の故永井隆博士は「原爆投下は神の摂理」と唱えた。容認論とも受け取られる表現で、当時の信徒は「被爆は神が与えた試練」と自身に言い聞かせるようになったという。

 こうした永井の宗教的解釈は「米国の原爆投下に憤り、日本の戦争責任を追及する被爆信徒の声を封じ込めてしまった。本当は『苦悩を受け止め、再建に力を尽くそう』と訴えたかったのだろうが」と深堀神父はみる。

 だからこそヨハネ・パウロ2世の言葉は「神がこんな苦しい目に遭わせるはずがない、と思っていた信徒の疑問を取り払った」と説明する。祈るだけでなく、行動することへ生き方を転換した信徒たちは被爆体験の証言を始めた。「平和な世をつないでいくには黙して語らずではいけない」。深堀神父も中学校や高校へ出向くようになった。

 長崎市出身の深堀神父は44年、造船所で働く父の転勤で広島へ。8歳だった翌年8月6日朝、爆心地から約3キロの南観音町(西区)の自宅近くで被爆した。当時は観音国民学校3年生。母の手伝いで野菜を知人宅に持っていく途中だった。

 家に帰ると母と弟は割れた窓ガラスで血だらけだった。「汝(なんじ)の敵を愛せよ」と説いたキリストの教えに反するが、「この敵は絶対にとってやる」と思った。

 被爆後の数年間、放射線の後障害で級友たちを次々に失った。白血病やがんなどで後々まで被爆者を苦しめる。深堀神父は子どもたちに体験を語る際、そんな核兵器の残酷さを強調し、「皆一つしかない大切な命。その大切さをそれぞれが自覚したい」と訴える。

 米国とロシアが対立を深め、核兵器保有国と非保有国との溝が広がり、北朝鮮の非核化は展望が開けない。核軍縮が袋小路に入る中、法王は被爆地の広島、長崎訪問に強い意欲を見せる。

 平和記念公園でのスピーチが再び実現するかは分からないが、深堀神父は「被爆者は高齢化している。各国へ核廃絶に向けた対話を求め、機運を高めてほしい。多くの市民が新しい一歩を踏み出すきっかけになる力強い言葉で呼び掛けてほしい」と願う。

(2019年6月3日朝刊掲載)

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