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連載・特集

被爆 地域と学ぶ資料室 広島市中心部の小学校に続々 

白島・幟町…ゆかりの手記や絵 思い育む

 原爆により被害を受けた広島市中心部の小学校で、空き教室などを活用した「平和資料室」を設置する動きがじわりと広がっている。地域にゆかりの深い被爆者の手記や被爆時の様子を描いた絵、戦前戦後の地域を捉えた写真を展示しており、子どもたちが地元の原爆被害を知り、平和への思いを日々育む場となっている。「小さな原爆資料館」として、広島を訪れる人たちの平和学習にも役立っている。(桑島美帆、新山京子)

 弥生土器や年季の入った木製の農機具。ダイヤル式の赤い公衆電話も―。白島小(中区)の別館内に郷土資料室がある。「来年1月、南校舎2階へ移転して展示内容を整理し、郷土資料に加え、学校と地域の原爆被害に関する展示を柱にする」。森貞小百合校長(55)が説明した。

 現在の白島小の敷地近くにあった当時の白島国民学校は、爆心地から約1・5キロ。被爆時に校長や児童約100人が即死したという。新たな資料室では、生き残った教師と児童の体験記や原爆の絵、白島地区の被爆遺構を示した地図の展示を想定する。近く、戦前生まれの元教諭や住民とでプロジェクトチームを結成し、地域を巻き込みながら具体化を進める予定だ。

 郷土資料室の刷新を計画する上で参考にしたのは、「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子さんが通った幟町小(同)の先例である。昨年5月、校舎1階に「のぼり平和資料室」を開き、禎子さんの遺品の折り鶴2羽や、戦前の小学校の写真など約100点を展示している。

 幟町小は昨秋、学校周辺を歩きながら原爆遺構を下級生に案内する「のぼり平和ウオーク」を始めた。4月には「平和委員会」をつくり、5、6年生の15人が児童に折り鶴の作り方を教えている。まずは資料室で原爆被害を学んでから活動に入る。自発的な平和学習の新たな拠点になっている。

 「資料室に来るたびに平和って何だろうと考える」と6年の西岡暖治君(11)。藤川照彦校長(56)は「児童が平和について考え、自分の言葉で語ることのできる人間に育ってほしい」と期待を込める。

 毎週金曜に予約制で展示を公開している。学校側の負担も少なくないが、禎子さんに関心を寄せる修学旅行生や外国人観光客を快く受け入れている。

 同小の資料室開設に携わった前任の島本靖校長(58)は、今春赴任した段原小(南区)でも資料室の新設を目指している。「段原にも資料や証言が多くある。生きて語ってくれる被爆者や、戦争を知る地元のお年寄りから協力を得られる今こそ、資料室づくりを」と力を込める。地域で被爆証言を続ける加藤義典さん(91)=西区=から手記や自ら描いた絵を提供してもらう予定だ。

 一連の動きを、市教委も前向きに受け止める。荒瀬尚美教育次長は「地域の特色を生かし、子どもたちが実感しやすい平和学習の場づくりの事例として他校にも紹介していく」と話している。

本川・袋町 当時の校舎活用

 広島の爆心地近くの小学校2校は、被爆建物の旧校舎を資料館として一般公開している。児童の平和学習の場であると同時に、市が推進する「ピースツーリズム」のルートにも盛り込まれている。

 爆心地から約410メートルにある本川小(中区)の平和資料館は、1988年に開館した。昨年度の来館者は3万3千人に上る。今春から週末や祝日の開放も始めた。「世界各国から来校する人々の姿は、本川小の被爆体験の重みを児童が再発見する機会にもなる」と岡田由佳校長(53)。

 17年前に開館した袋町小の資料館の壁面には、被爆直後に被災者が安否情報を求めて書き込んだ「伝言」が残っており、救護所として混乱した様子が伝わる。6年生が資料館で学んだことを手書きの新聞にまとめ、外国人来館者に英語で案内することもある。

 一方、同じ被爆地である長崎市内にも2校に平和資料室がある。爆心地近くの城山小は、被爆校舎の一部を「平和祈念館」として公開し、6年生が修学旅行生のガイド役を務めることもあるという。約1300人の児童が犠牲になった山里小の「原爆資料室」は、被爆瓦や熱線で溶けたガラスを展示する。

資料室設置の意義は ひろしまジン大学 平尾代表理事に聞く

案内する体験 児童に貴重

 平和教育をテーマにしたワークショップを開き、広島市のピースツーリズム推進懇談会の委員も務めたNPO法人ひろしまジン大学の平尾順平代表理事(43)=中区=に、平和資料室設置の意義を聞いた。

 私が小学生だった1980年代は現役の被爆教師がたくさんおり、普段の何げない会話でも被爆体験を聞くことができた。ある意味毎日が平和学習だった。学校や家庭で被爆者に会う機会が減る中、小学校の平和資料室は、子どもたちが日常的に被爆体験に触れるきっかけになる。

 時に修学旅行生や観光客を案内する体験も、貴重だろう。人に伝えるためには、「核兵器廃絶」や「平和」という単語を並べるのではなく、一生懸命考えて、自分の言葉で発信しようとするからだ。

 幟町小のように、資料室を拠点にフィールドワークをすれば、生活空間の中で戦争や原爆被害を感じることができる。来館者が感じたことを書いた紙を張るスペースをつくり、寄せられたメッセージを子どもたちが振り返る授業があってもいい。地域と学校をつなぐ接点にもなる。

(2019年6月24日朝刊掲載)

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