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遺品 無言の証人

体に刺さったガラス片

摘出できず最期まで

  伴場幸朗さんの肩に刺さったままだったガラス片=2013年、伴場幸吉さんが原爆資料館に寄贈(撮影・田中慎二)

 幅1・3センチほど。丸みを帯び、表面はごつごつしているがガラス片である。原爆で深い傷を負ったあの日から、生き抜いた最期の時まで、伴場幸朗さん(2012年、84歳で死去)の左肩に突き刺さっていた。火葬の後、遺骨とともに拾われた。

 伴場さんは、爆心地から1・1キロの水主(かこ)町(現中区)にある警察練習所で被爆した。倒壊した校舎の下敷きになり、割れたガラスを大量に浴びた。自宅があった広島県世羅町へ帰り着き、近くの診療所で47個を摘出。なおも取り切れなかった。背中の傷は癒えず、2年ほど床に伏せることを余儀なくされた。

 当時、広島県庁や県病院が置かれていた水主町は、建物疎開に動員されていた市民もおり壊滅的な被害を受けた。そこで目の当たりにした惨状や、自身の体験を伴場さんが語ることはほとんどなかった。1度だけ息子の幸吉さんと原爆資料館を見学し、「この通りだった」と口にしたという。

 幸朗さんを苦しめながら、体の一部のようでもあったガラス片。幸吉さんは父の死の翌年、生前に摘出していたもう一片とともに「役に立ててもらえるなら」と原爆資料館に寄贈した。(金崎由美)

(2019年6月24日朝刊掲載)

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