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社説・コラム

『この人』 「ヒロシマ・アピールズ」ポスターを制作したグラフィックデザイナー 澁谷克彦さん

 母親の腕に包まれた子どもの目が鋭くこちらを見つめる姿を描いた。原爆への恐怖や核兵器廃絶への道筋を描けない現代社会への怒りの表情にも見える。「被爆2世として生まれた私の目線に通じる。自分にしかできない表現ができた」。平和の尊さを国内外に訴える「ヒロシマ・アピールズ」ポスターを制作し、手応えを話した。

 父の基夫さんは被爆当時、陸軍大尉として宇品(現広島市南区)に勤務。直後から救助活動などに当たったとみられる。戦後、家族に体験を話さないまま、胃がんなどを患い48歳の若さで亡くなった。

 自身は東京に生まれ、被爆2世を意識せずに暮らしてきた。今春、ポスター制作の依頼を受け「あらためて意識し、遺伝子レベルで影響があるのではないか漠然と不安を感じた」。

 原爆資料館(中区)を見学し、画家の丸木位里・俊夫妻の被爆後の広島を題材にした作品を見て回った。到達したのが、「被爆者が少なくなる中、親子でヒロシマを語り継いでほしい」との思い。作品には人間の親子だけでなく、丸木夫妻の作品にあったツバメの親と卵も描き込んだ。

 中高時代に出合ったロック歌手デビッド・ボウイに憧れて表現の道に進んだ。化粧品メーカー資生堂の宣伝部員として、華やかな広告をいくつも手掛けた。現在は女子美術大教授として後進の指導にも当たる。

 還暦を過ぎて挑んだ平和をテーマにした新たな表現。完成したポスターを前に「今は既にもう1枚作りたくなっている」。次なる創作への意欲を見せた。東京都目黒区で妻と長男、長女と暮らす。(永山啓一)

(2019年7月19日朝刊掲載)

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