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連載・特集

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <1> 岐路の平和宣言

 ヒロシマの継承と発信は被爆74年のことし、岐路を迎えている。8月6日の平和宣言、「実物重視」に更新された原爆資料館本館の展示、証言者の相次ぐ死去…。2020年には核軍縮の鍵を握る核拡散防止条約(NPT)再検討会議や、世界の関心を集める東京五輪がある。被爆者の記憶や思いをどうつなぎ、伝えるか。被爆地の民、官の模索や今後の課題を探る。

核禁条約署名 先頭に 被爆者「明確に要請を」

 8月6日朝、平和記念式典が営まれる平和記念公園(広島市中区)の原爆慰霊碑前。「おやじの骨が今もどこかに埋まっている気がする」。胎内被爆者の二川一彦さん(73)=東区=は今月中旬、式典当日に参列者席が並ぶ芝生を参道から見つめた。「多くの犠牲者、被爆者たちの声を代弁する平和宣言を」と切に願う。

 74年前、父一衛さん=当時(47)=は芝生と参道の一角にあった材木町郵便局の局長だった。「あの日」も矢賀町(現東区)の自宅から職場へ出勤。二川さんを身ごもっていた母広子さん=2000年に87歳で死去=が、父と、建物疎開作業に出た姉幸子さん=当時(13)=の2人を捜したが、遺骨も見つからなかった。

 会えなかった父が過ごした場での式典。34歳の時に遺族代表として「平和の鐘」を突いた。「被爆者が老いる中、最若手として核兵器廃絶を訴えなければ」。そう思って5年前に原爆胎内被爆者全国連絡会の活動を始めてから、平和宣言の重みを一層感じる。

「トーンが低い」

 各地の会員は核兵器禁止条約を推進し、この春、国連で各国に参加を求める演説をした人もいる。二川さんは宣言に活動への後押しを望むが、仲間たちの見方は近年厳しい。「広島は、トーンが低い」

 松井一実市長は、禁止条約が国連で採択された一昨年と昨年の宣言で、日本政府に対して禁止条約の署名・批准を直接的には要請しなかった。参加や賛同を明確に求めた長崎市の田上富久市長とは対照的だった。

 被爆地の発信と被爆国の参加が条約を発効させ、反発する保有国を引き込む鍵であると、国内外の被爆者や市民は思う。「広島市長こそ先頭に」。県内の23市民団体は先月、宣言で政府に対して署名・批准を明確に求めるよう市に要請。二川さんが代表を務める同連絡会広島支部も加わった。

「必要悪」論問う

 松井市長は被爆者団体からも同様の要望を受け、署名・批准の求めが分かる文言を入れる考えを表明した。二川さんは「『直球』の言葉で要請を」と望む。

 しかし米国に「核の傘」を求める政府が条約に加わる気配はない。禁止条約は、抜本的な核軍縮のため核抑止政策の柱をなす「使用の威嚇」なども禁じる。安倍晋三首相は1月、「抑止力を維持し、国民の生命、財産を守り抜く」とあらためて不賛同を明言し、安全保障面から条約を否定する姿勢をあらわにした。

 だからこそ宣言の役割は大きい。「核兵器は『必要悪』なのか。広島は正面から問える」。禁止条約の署名・批准を迫る「ヒバクシャ国際署名」のキャンペーンリーダー林田光弘さん(27)=川崎市=は、核兵器に頼る安全保障の問題点を示すことも重要とみる。

 誤解に基づく核使用や誤作動の爆発も被害は甚大なだけに、松井市長は昨年の宣言で核抑止政策を「極めて不安定」と指摘。湯崎英彦知事も式典で問うた。仲の悪い隣同士が互いの家に爆弾を仕掛けてけんかを防ごうとするのは安全か―。

 林田さんは昨年、特に印象的だった湯崎知事の式典あいさつを会員制交流サイト(SNS)で発信した。「核抑止を問う訴えをSNSで拡散すれば、政府の主張を何となく信じる人も変わり得る」。広島の首長の言葉を市民が生かす視点を説く。(水川恭輔)

核兵器禁止条約
 開発、保有、使用など、核兵器に関する行為を全面的に禁止する初の国際条約。前文で「被爆者」の受け入れ難い苦しみに留意すると明記している。2017年7月、国連の交渉会議で核兵器を持たない122カ国・地域が賛成し、採択。50カ国が批准手続きを終えた後、90日後に発効する。現在の批准は23カ国。核兵器保有国や日本政府などは署名・批准していない。

(2019年7月25日朝刊掲載)

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ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <5> 公園の外へ

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <6> 平和首長会議

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <7> 減る証言者

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