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連載・特集

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <5> 公園の外へ

被爆建物活用 続く模索 ツアー 外国人に好評

 「『sokoiko!』(ソコイコ!)の参加者の方は次の場所に」―。ガイドの呼び掛けに応え、外国人観光客の電動自転車の隊列が河岸を南へと進む。背後にある平和記念公園(広島市中区)は、どんどん遠くに。市内に点在する「8月6日」の痕跡に向かう。

 爆心地から南東約2・2キロの御幸橋西詰めに着いた。中国新聞カメラマンの故松重美人さんが被爆当日の惨状を写した地点。「被害の広さが実感できるね」。3日に参加したノルウェーからの観光客ロゲル・ウーラウセンさん(66)は言う。続いて京橋川沿いを北へ進み、被爆樹木を見学した。

街の光景に需要

 「ソコイコ!」ツアーは3年前、市内の企業が予約制で始めた。市のシェアサイクル「ぴーすくる」を使い、主力の「ピース・ツアー」はJR広島駅前を発着点に約10カ所を3時間で巡る。「定番」の原爆資料館は自分で見学してもらおうと、行程に入れない。「平和記念公園から離れていても、広島の被爆や復興に象徴的な街角を伝えたい」。運営会社社長の石飛聡司さん(39)は力を込める。

 県外でアパレル会社に勤めた後、地元に貢献する仕事がしたいとUターンした。ツアー企画のきっかけは、知人の知り合いの外国人を案内した際、何げない街の光景が喜ばれたこと。調べた史実を基にルートを固め、料金は1人6500円。大手旅行サイトに載った高評価の口コミを追い風に、春には欧米の観光客を中心に昨年の約5倍の月約100人が利用した。

 石飛さんは「海外からせっかく訪れたヒロシマを相応の時間と料金をかけて深く知りたいニーズは高い」とみる。一方で「平和記念都市」が被爆の実態を伝えるものを生かし切れていないとも感じる。特に被爆建物について思う。

 例えばツアーで立ち寄る中区の中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)。市は老朽化を理由に内部の見学を中止し、再開のめども立っていない。「原爆による広島壊滅の第一報を伝えた」とガイドすると、参加者が聞き入る。それだけに「建物の中に入れたら、体験は濃くなる」と惜しむ。

 同じく行程に組む広島大旧理学部1号館(中区)も、活用に向けた議論が途上で、見学は外からしかできない。希望があれば訪れる旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)は被爆者の救護の拠点となった歴史を刻むが、管理する県は普段内部を公開していない。

VR装置使用も

 市は一昨年、有識者の意見を聴く「ピースツーリズム」推進懇談会を始めた。議論を踏まえて、被爆建物の本川小平和資料館(中区)の土日祝日開館を始めるなど具体策を少しずつ進めている。事務局の市観光政策部は「民間の意見も聞き、被爆建物の有効活用を担当課と調整したい」という。

 石飛さんは懇談会の聞き取りにも協力した。被爆建物の中で被爆当時を再現するバーチャルリアリティー(VR)装置を使ってもらうなど、さまざまなアイデアを頭に巡らせる。平和記念公園の外を、どう生かしたらいいか―。民間が現場で考える課題や方策を行政がくみ、柔軟に応えるサイクルが加速していけばと期待する。(水川恭輔)

被爆建物
 広島市が爆心地から5キロ圏内で被爆した建物を台帳で管理。保存工事の際に費用助成をしている。国や県、市などの公共機関の所有が21施設、民間64施設の計85施設。市が所有する広島大旧理学部1号館は、広島大と市立大が各平和研究部門の移転方針を決めている。

(2019年7月29日朝刊掲載)

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