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社説・コラム

[ひと まち] 被爆ポンプ 調べて絵本

 古びた手押しポンプが、JR広島駅(広島市南区)近くの道端にある。「被爆ポンプです 残してください」。そう書いたブリキ板がぶら下がっている。誰がかけたのだろう。どんな背景があるのだろう―。東区の矢賀小5年児玉美空さん(10)が引きつけられたのは、ちょうど1年前。

 母の瞳さん(39)がたまたま見掛けたのが始まりだった。「一緒に調べてみよう」と母娘で盛り上がった。まずは現地へ。ブリキ板のメッセージの末尾に名前があった。永原富明さん(72)。インターネットで調べると、呉市在住の被爆2世で、ピースボランティアとして原爆資料館で伝承活動をしていると分かった。早速、会いに行く。

 永原さんは、ポンプが原爆投下時にその場にあった可能性が高いと教えてくれた。「被爆直後、きっと多くの人が水を求めてこのポンプにやってきたと思うんよ」。ポンプは「物言わぬ証言者」なのだと、永原さんは言った。

 そんな話を基に、美空さんは絵本をこしらえた。お母さんと相談しながら3週間で仕上げた。題名は「ひばくポンプ」。「あの日の朝も暑かった…」「大好きじゃった広島の町が…なくなった」。語り手は街角の老いたポンプだ。

 ポンプは嘆く。核兵器を手放そうとしない現代の大人たちを。さらに問い掛ける。「子供たちに聞いてみたらええよ。爆弾と一粒のキャラメル、どっちがええか」。美空さんはページいっぱいに、その答えを描いた。笑顔の子どもたちとお菓子が地球を囲む。誰だってキャラメルの方がいいに決まってる。なのになぜ爆弾はなくならないの? みんなに考えてほしかった。

 昨年の夏の終わり。永原さんの元に、美空さんから1冊の絵本が届いた。「本当にうれしかった」と振り返る。涙をこぼしながら10歳と7歳の孫に読んで聞かせた。ポンプの存在に気づき、その声に耳を傾けてくれた。ただ受け止めるだけではなく、伝え手になってくれた。「苦労が報われたような気がしてね」

 もっと知りたいという思いから始まった美空さんの挑戦。「今は、もっとみんなに伝えていきたいという気持ちです」。今年の8月6日、校内の平和集会で全校児童に披露する。(高橋寧々)

(2019年7月30日朝刊掲載)

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