×

連載・特集

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <7> 減る証言者

苦難の記憶 伝承へ決意 掘り起こしや記録急務

 広島市の被爆体験伝承者、水野隆則さん(61)=広島市安佐北区=は31日、原爆資料館東館(中区)で、被爆者であり核物理学者だった故葉佐井博巳さんの伝承講話に初めて臨む。「私がいるうちは自分で話す」―。そう言って生前の伝承活動は求めず、1月に87歳で亡くなった。水野さんは「心の整理がなかなかつかなかったが、半年がたち、始めなければ」と緊張した表情で話す。

市が3年間研修

 伝承者は原則3年間の研修を受け、市が委嘱した被爆者から記憶を受け継ぐ。多くの遺体、ひどいやけどの負傷者…。水野さんは、原爆投下翌日に自宅に帰るため市中心部に入った葉佐井さんが見た惨状を聞くとともに、核兵器の非人道性がどのようなものか、科学的な側面からも学んだ。

 葉佐井さんの思いの核心を「怒り」と感じた水野さん。講話原稿に米国の原爆投下を正面から問う文言を入れた。「人類の頭上に落とす理由は何だったのか」―。葉佐井さんが原爆投下後に市民から聞いた米国への憎しみの声に触れ、「平和を築くのは難しい。だからこそ色々な人と一緒に考え、語り合ってほしい」との生前の思いを伝える。

 ただ水野さんは、葉佐井さんが生前、自らの核物理学者としての経歴などを多くは語らないように求めていたこともかみしめる。「市井の人々が強いられた苦難を伝えるのが大事だと考えていたのではないか」。講話は水野さんの母昭子さん(86)の思いも話す。

 水野さんの祖母に当たる昭子さんの母は、あの日、建物疎開作業に出て遺骨も見つかっていない。「悔しゅうて」。昭子さんがその無念をぶつけてきたこともある。今は原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」(安佐北区)に入所する。水野さんは、今もって悲惨な体験を語れない人たちの思いにも通じる伝承講話を目指す。

 被爆者の平均年齢は3月末時点で82・65歳になった。伝承者は、家族など身近な人の体験を聴き、講話に交えてより深く実態を知ってもらおうと模索する。原爆資料館啓発課も「身近な人の話は、その伝承者が記憶の継承に懸ける思いを伝えることにつながる」とみる。

 原爆投下で壊滅し、今は平和記念公園(中区)一帯となった旧中島地区を語ってきた元住民も高齢化。旧中島本町の寺院が実家で、両親と姉を亡くした体験を語ってきた諏訪了我さんは3月に85歳で死去した。旧天神町の元住民で長年証言をしてきた山崎寛治さんも6月に91歳で死去した。

投下前の日常も

 それだけにいま証言を掘り起こし、記録することが急がれる。市民団体「ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会」は2003年から同地区の元住民たちの証言を聴く会を毎年開催。今年も20日に中区で開いた。

 「親族の菓子店はもみじまんじゅうを焼いていて」…。元住民たちの被爆前の街の思い出に約60人が聞き入った。アニメ映画「この世界の片隅に」で描かれて同地区の関心が高まる中、宮城県や鹿児島県など県外からの参加者も目立った。

 「あの日」までの街角や市民の日常―。何げない記憶でも、それを奪った原爆被害の実態を浮かび上がらせる。同実行委の中川幹朗代表(60)=南区=は力を込める。「話してくれる方がいる限り、証言を聞き続けたい」(水川恭輔)

被爆体験伝承者
 被爆者の高齢化が進む中、代わりに体験を伝える人として広島市が2012年度から養成。原則3年間の研修で被爆の実態を学ぶ座学や、被爆者からの個別指導を受ける。現在131人に委嘱。国は昨年度、広島市外への派遣費用の助成を始め、昨年度の派遣は38都道府県と英国、コスタリカの小中学校など273件。

(2019年7月31日朝刊掲載)

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <1> 岐路の平和宣言

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <2> 新たな本館で

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <3> 訪日客に

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <4> 被爆遺構

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <5> 公園の外へ

ヒロシマの発信はいま 被爆74年 <6> 平和首長会議

年別アーカイブ